筆跡鑑定の闇:なぜ裁判所は「偽造」を見抜けないのか?

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皆さんにご覧いただいた上図の筆跡鑑定の例で、多くの人が鑑定資料❶を偽造、鑑定資料❷を真筆と判断したのではないでしょうか。しかし、正解はどちらも偽造筆跡です。特に驚くべきは、鑑定資料❶の筆跡が、実際の裁判で「同一人の筆跡」と判断され、敗訴に至ったという事実です。書道を嗜む方や、筆跡に少しでも関心のある方なら、「ありえない」と感じたはずです。


「本人筆跡に見える」裁判官の言葉がもたらす衝撃

鑑定資料❷は、私が意図的に真似て書いたものです。この程度の模倣筆跡は、実は多くの人が書くことができます。筆跡の類似性だけで判断すれば、腕の良い偽造者の筆跡は、裁判で「本人筆跡」とされてしまうという、恐ろしい現実がここにはあります。

そして、とある「遺言無効確認訴訟」の場で、裁判官が発した「自筆証書遺言は本人の筆跡に見える」という言葉。この言葉に、私は身震いしました。

この裁判官は、何の科学的根拠もなく、ただ「そう見える」という主観だけで、非常に重要な相続の問題を判断しようとしているのです。まるで「筆跡鑑定なんて、自分に分からないはずがない」とでも言いたげな、根拠のない自信と権力を盾にした発言だとしか思えません。


筆跡鑑定の冒涜:科学を軽視する裁判所の姿勢

十数年もの間、寝食を忘れて筆跡鑑定の研究に没頭し、ようやく体系化した鑑定書の内容が、筆跡について何の知識もない裁判官の「そう見える」の一言で一蹴されてしまう。これは、筆跡鑑定という専門分野に対する冒涜に他なりません。

「根拠の乏しい筆跡鑑定書は採用しない」と言いながら、自らの判断は極めて主観的で非科学的。これでは、裁判官の質が低下していると言われても仕方ありません。


「見える」では通用しない!科学に基づいた鑑定の重要性

筆跡鑑定は、単なる「似ている」「似ていない」といった印象論で判断できるものではありません。筆跡の特性、運筆、筆順など、多岐にわたる要素を科学的に分析し、総合的に判断する高度な専門技術です。

にもかかわらず、裁判官の主観的な「見える」という心証だけで、遺言の有効性といった重大な事柄が左右されてしまう現状は、看過できません。被相続人も、草葉の陰で泣いているに違いありません。

私たちは、このような非科学的で横暴な判断が、法廷でまかり通ることを黙って見過ごすわけにはいきません。科学に基づいた筆跡鑑定が正しく評価され、真実が解明される公平な司法が実現されることを強く訴えたいと思います。

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