私は、長年にわたり筆跡鑑定に人生を捧げてきた専門家として、この国の司法の場で繰り広げられている、極めて危険で理不尽な現実を告発します。
遺言書や契約書をめぐる裁判で、真実を訴える善良な市民が敗訴し、偽造をした悪人が勝つという不条理が、もはや「公然とまかり通る」社会になってしまいました 。
この悲劇の根源は、人々が知らない専門知識の領域、すなわち「情報の非対称性」を盾にした、筆跡鑑定業界の構造的な欠陥にあります。
1. 「真逆の鑑定」が横行する理不尽な構造
筆跡鑑定の現場には、あなたの人生を左右する鑑定書が、真逆の結論を出して法廷でぶつかり合うという、恐ろしい現実があります。
- 鑑定の核が「勘」に依存する旧弊な手法: 従来の「伝統的筆跡鑑定法」は、長年の経験と勘に頼る手法であり、その証明力に限界があることは半世紀以上前に最高裁判決で認められていました 。にもかかわらず、多くの鑑定人がこの非科学的な手法を使い続けたため、鑑定結果が真逆になる「玉石混交」の鑑定書が法廷に提出され続けました 。
- 「見せかけの科学」による欺瞞: さらに、「数値解析」や「多変量解析」といった、一見科学的な手法を謳いながら、その判断基準(閾値)の科学的根拠を一切示さない鑑定所が不信感を決定づけました 。彼らは、難解な専門知識を利用し、統計的根拠を欠く判断を「客観的」と偽っているのです 。
その結果、鑑定の真実を知っているはずの裁判官は、「筆跡鑑定は信用のおけるものではない」という強固な固定観念に支配され、筆跡鑑定そのものを放棄する姿勢を示すに至りました 。
2. 「偽造天国」を生み出す情報の非対称性
この司法の「鑑定放棄」こそが、私たちが直面する最も危険な社会問題です。裁判官は、筆跡という直接証拠を軽視し、「その他の事情(状況証拠)」に判断を偏重するようになりました 。
- 「似せて書けばバレない」という衝撃の真実: 多くの鑑定人や裁判所は、稚拙な模倣筆跡ですら「真筆」と誤認するケースが後を絶ちません 。なぜなら、従来の鑑定法では、偽造者が意識的に真似ようとした結果生じる、筆跡の深層にある「無意識の書き癖」を捉えることができないからです 。
- 誤情報が真実を覆い隠す: にもかかわらず、他の鑑定人は「真似て書いてもバレる」といった誤った情報を発信し続けています 。そして、権威に弱い検索アルゴリズムが、この誤った情報や、理屈が不完全な「権威」と結びついた情報を優先的に拡散し、業界の「虚像」を作り上げています 。
- 善良な人々が苦しむ現実: 筆跡鑑定だけが軽視され、裁判官が嘘の状況証拠に騙されることで、筆跡に明らかな偽造の痕跡があっても、その無効性を証明することが極めて困難になります 。この理不尽さによって、真実を訴える依頼人と、真実を知る鑑定人だけが苦しむことになります。
このままでは、「正しい鑑定法が認められなければ、偽造を行う悪人がやりたい放題となり、今まさに日本は『偽造天国』と化しています」 。
3. 理不尽に立ち向かう唯一の道
私には、偽造筆跡を見抜く自信があります。なぜなら、私が提唱する「脳科学的筆跡鑑定法(ビーシャム)」は、筆跡を脳の「手続き記憶」という無意識の運動プログラムの痕跡と捉え、偽造者が模倣できない「無意識の癖」の崩れを論理的に看破するからです 。
しかし、私の強い思いだけでは、この構造を変えることはできません。この理不尽な現実に終止符を打つためには、真の科学的透明性をもって、社会全体の認識を変える必要があります。
- 論理で司法の固定観念を覆す: 脳科学という普遍的な原理に基づいた鑑定が、いかに客観的かつ論理的であるかを、誰が見ても納得できる鑑定書と法廷での証言を通じて示し続ける 。
- 「公開検証」で実力を証明する: 筆跡鑑定の信憑性が「個々の鑑定人の実力」によって決まるという真実を社会に知らしめ、司法の誤解を正すために、「公開検証(試験)」の実施を強く提唱し続ける 。
私は、この理不尽な社会構造に座して見ているわけにはいきません 。鑑定を依頼するあなたが、鑑定人の肩書きや言葉ではなく、「論理的な説明能力」と「科学的根拠」を重視する。その一歩こそが、偽造がまかり通る社会を是正する、唯一の希望なのです。


コメント