従業員が50人にも満たない町工場の技術が宇宙に旅立っている。高い技術の構築は,大手企業や大学等の研究者などに限ったことではないことを証明している。
なぜ,町工場の技術が宇宙に旅立つロケットの部品として採用されたのであろうか。その理由は,その技術を評価できる研究者が世の中には大勢いるからである。肩書や権威でしか評価されない筆跡鑑定業界とは大きく違う。
筆跡鑑定においては,半世紀以上前に開発された伝統的筆跡鑑定法が多くの鑑定人に採用され続けている。日進月歩を遂げる科学の分野では,半世紀以上も前の陳腐化された手法を採用することはあり得ないのだが,ニッチな業界である筆跡鑑定だけは違う。こうなった理由も明らかである。筆跡鑑定業界では,筆跡鑑定知識,能力,技術力が高く,且つ公から認められた筆跡鑑定手法を評価できる研究者がいないからである。

つまり,評価できる人物がいなければ,どんなに優れた筆跡鑑定の技術が開発されても,その評価は司法に委ねられるというプロセスを踏むことになる。
司法はどんなに理屈の通った新しい技術よりも,陳腐化していようが,ロジックが破綻していようが肩書や権威のある資料や判例が優越される。
これでは未来永劫,筆跡鑑定が浮かばれることはない。
実は,我が国ではこの常識を変えることのできる唯一の機関が存在している。
それは科学警察研究所である。この組織の中には情報科学第2研究室という筆跡鑑定を研究している部署があるが,私の知る限りその研究は明後日の方向を向いて研究をしているようだ。
この部署が「筆跡鑑定には限界はない。その理由はこうである」という発言があればよいのだが,司法に「筆跡鑑定に限界がある」といわれても黙ったままである。きっと,その通りであると思っているのであろう。筆跡鑑定の研究者という肩書を持つ者が雁首揃えても,科学とは無縁の司法に言われ放題なのである。
残念であるが,日本は偽造天国と化した。科学が司法に対して何も言えないというジレンマに陥っているのである。なんとも情けない話である。
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