裁判所は筆跡鑑定の証拠能力が低いとでっち上げている

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以下は,弁護士の方から聞いた裁判官が発した言動である。

「被告と原告とで全く違った内容の筆跡鑑定が出てくることは多く信用のできるものではない。筆跡鑑定をやるのは自由だが,お金をかけてまでやるのかどうか,裁判所は重視しないことを知ったうえでやってほしい」

「自分に有利な筆跡鑑定しか出してこない」

文脈の趣旨は「筆跡鑑定書というものは依頼人の意向に沿って書かれたものであるから信用のおけないものである。したがって,裁判所は重視していない」と断じていることになる。

そもそも,「被告と原告とで全く違った内容の筆跡鑑定が出てくることは多く信用のできるものではない」「当事者は自分に有利な筆跡鑑定しか出してこない」=「筆跡鑑定人は依頼者の意向通りの鑑定書を作成する」という発想自体があまりにも短絡的すぎるのだ。裁判所の言動の理屈が正しいというのであれば,筆跡鑑定人は筆跡鑑定の高度な知識,能力,技術が高いレベルにあるという前提が必要だ。

このことについての意見を述べてみたい。正直なところ,意向通りに鑑定書を書く鑑定人は実在している。しかしながら,私の知る限りそのような鑑定人は一部である。つまり,多くの鑑定人は意向通りには作成していないのだ。資格制度もなく明日から筆跡鑑定人と名乗れるのだから筆跡鑑定ができない者が数多く存在している。よって,両方の鑑定結果が出るのは当たり前である。一般の知識のある方であれば,当然このように考えるのではなかろうか。裁判所がこんな簡単な理屈が分からないとは考えにくい。論理の飛躍もいいところである。つまり,「筆跡鑑定書は意向通りに書かれる」とし,なんとしても筆跡鑑定の信憑性を低下させることに躍起になっているとしか思えない。

この原因は裁判所が筆跡鑑定書を判断する能力がないからに他ならない。こんなことでいいのであろうか。

裁判所が筆跡鑑定を排除しようという考え方がよくわかる事例である。

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