「提出された鑑定書は厚いものなので、鑑定人の話を聞かなくとも十分ではないか」。
もしあなたが筆跡裁判の場で、このような裁判官のご意見を耳にしたなら、それは筆跡鑑定の核心的な論理を曖昧にしようとする、巧妙な詭弁であり、看過できるものではありません。
このブログ記事では、なぜ筆跡鑑定人が鑑定書という書面だけでは不十分であり、法廷に立つ「証人尋問」が不可欠であるのか、その真の意義を解説します。
1. なぜ「鑑定書」だけでは不十分なのか?
裁判官が筆跡鑑定を軽視し、「筆跡鑑定の証明力には限界がある」 という固定観念を抱く背景には、鑑定書だけでは伝わりきらない以下の問題が潜んでいます。
- 鑑定書の専門性が、裁判官の理解を阻む: 鑑定書が「厚い」のは、筆跡鑑定という高度な専門科学を、非専門家である裁判官に正しく理解していただくために、詳細な根拠と論理を記述するからに他なりません。しかし、その専門的な内容が、書面だけでは正しく伝わらず、「読まなくても十分」という誤った判断を招いてしまいます。
- 「見せかけの科学」が不信を増幅させる: 中には、鑑定の科学的根拠が皆無であるにもかかわらず「数値解析」 を謳う鑑定所も存在します。このような「見せかけの科学」 が書面で提示され、それが不当に評価される現状が、筆跡鑑定全体の信憑性を低いものとする原因となっています。
2. 証人尋問が持つ、3つの決定的な役割
このような現状において、鑑定人による証人尋問は、単なる手続きではなく、鑑定の真価を伝え、裁判の公正性を確保する上で極めて重要な意味を持ちます。
- 1. 鑑定書の論理を、裁判官に直接届ける: 証人として出廷することで、鑑定人は鑑定書の「なぜその結論に至ったのか」という論理を、口頭で、かつ分かりやすく、裁判官に直接説明できます。書面では難解に思える専門的な分析も、視覚資料(写真、図など)を用いながら解説することで、裁判官の深い理解を促すことが可能になります。
- 2. 相手方鑑定の「矛盾」をその場で突く: もし相手方が旧弊な鑑定法に基づく不完全な鑑定書を提出した場合、証人尋問は絶好の反論の機会となります。自らの鑑定法(脳科学的鑑定法)の優位性を明確に示し、相手方鑑定が「見た目の類似性」という偽造の罠 に陥っていることを、その場で論理的に指摘することができます。
- 3. 鑑定人自身の「人間性」が信頼性を高める: 鑑定人が証言台に立ち、質問に対して誠実に、かつ自信を持って答える姿勢は、裁判官の心証に大きく影響します。書面に現れない鑑定人の専門性、倫理観、そして真実を追求する熱意は、裁判官に「この鑑定は信頼できる」という確信を与え、鑑定書の証明力を飛躍的に高めることにつながります。
3. 結論:司法の誤解を解く、真の科学への提言
鑑定人による証人尋問は、司法が「脳科学的筆跡鑑定法」を理解していない現状では、鑑定書の内容を正しく理解してもらうための、やむを得ない打開策の一つとなります。
筆跡鑑定は、もはや「運任せ」の博打ではありません。脳科学という普遍的な科学に基づいた正しい鑑定法を戦略的に活用し、鑑定人が法廷で真実を語る覚悟を持つことで、司法の誤解を解き、不条理な判決を覆すことは十分に可能です。
もしあなたが今、苦しい状況にあるのなら、諦める前に、真に科学的な鑑定の力に委ねてみませんか?
脳科学的筆跡鑑定法の考案、提唱者は二瓶淳一です。


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