文字は人が書くものであるから,スタンプのようにピッタリと一致することはなく,ある一定程度のブレが生じる。このブレ幅は人によって異なり,ブレ幅が小さい、大きいなど様々な人がいる。
このブレ幅を「個人内変動」というのであるが,鑑定ができない鑑定人は(例えば異筆要素となっては)都合悪い相違箇所を指摘し「個人内変動の範囲」といって相違箇所を相違ではないとしてしまう。
このように,「個人内変動」という言葉は,トランプで言えば「ジョーカー」のような存在であり,鑑定人に都合よく働いてくれる。つまり,相違している特徴をことごとく「個人内変動」のせいにすればおのずと「同一人の筆跡」となる仕組みだ。こんなバカバカしいことがまかり通っているのである。裁判官も筆跡に「単なる特徴」と「筆跡個性」の両方が存在していることを知らないため、彼らの鑑定書が非常にバカげたものであることに気がついていない。
この「個人内変動」の取り扱いが難しいという鑑定人がいるが,そんなことはない。当職はこの「個人内変動」という言葉はほとんど使用することはない。むしろ,使わないというよりも使う必要がないということである。
鑑定ができない鑑定人がなぜ「個人内変動」という言葉をよく使うのか解説したい。
画像の上段にあるのが,佐藤一郎氏(仮名)が様々な時期や場所,筆記用具によって書かれた「大」の5文字である。筆跡には,都度変化する特徴(単なる特徴)と変化が起こりにくい特徴(筆跡個性)の2つが存在する(上図参照)が,鑑定ができない鑑定人はこの理屈が分からない。「筆跡個性という概念」を全く理解していないことが手に取るようにわかるのだ。
「単なる特徴」は時と場合によって変化する箇所なので,こんな特徴を比較しても意味がないことは容易に理解できるのであるが,彼らはこのことを知らず、指摘する箇所は「どこでも良い」と思っているから「単なる特徴」を指摘箇所とすることになる。当然のことながら,書く度に変化する特徴であるので個人内変動が大きくなり「同一」の根拠とはならないので都合が悪くなる。よって「個人内変動」というジョーカーを使いまくるのである。一般の方がこういった詭弁がわからないから、まさにやりたい放題なのだ。すなわち、インチキ鑑定法なのである。
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