先日、ある弁護士の方から自筆証書遺言の筆跡鑑定を依頼されました。対照資料と見比べるまでもなく、鑑定書には偽造を疑わせる不自然な点が山のようにありました。わずか1分もかからずに、誰が見ても明らかだと感じる稚拙な偽装筆跡。しかし、この事実を弁護士に伝えたところ、「まさか別人による筆跡だとは思ってもいなかった」という驚きの言葉が返ってきたのです。
専門家である私には一目瞭然の偽造も、一般の方には全く区別がつかない。この現実に、私は強い無力感を覚えています。
「証明力に限界がある」という通説の壁
筆跡鑑定の専門家として、私は自筆証書遺言の真偽をほぼ100%見抜く自信があります。脳科学的筆跡鑑定法を熟知している私は、書き手の運動動作の違いを明確に捉え、真筆か否かを確信を持って判断できるからです。
しかし、世間には「筆跡鑑定の証明力には限界がある」という通説がまかり通っています。この通説がある限り、私がどれだけ真実を訴えても、「所詮は鑑定人の主観に過ぎない」と捉えられ、その鑑定結果は軽視されてしまう。これが、筆跡鑑定の世界の厳しい現実なのです。
偽造が真筆とされる悲しい現実
裁判所ですら、偽造筆跡を真筆と誤って判断し、善良な市民が財産や権利を奪われるという悲しい現実は後を絶ちません。私が精魂込めて作成した鑑定書も、「筆跡鑑定の証明力には限界」という一言で片付けられてしまうことが多いのです。真実を知る者として、この現実に胸が締め付けられる思いです。
「もっと多くの人に筆跡鑑定の真実を知ってほしい」 「一人でも多くの善良な人を救いたい」
その一心で、私はこの仕事に向き合っています。しかし、真実を訴えれば訴えるほど、懐疑的な目で見られることも少なくありません。これは決して自慢ではなく、純粋に助けを求めている人々の力になりたいという気持ちからくるものです。
今日も私は、無力感に苛まれながらも、自分の心を奮い立たせて鑑定書に向かっています。いつか、筆跡鑑定の真実が正しく評価され、真実が報われる日が来ることを信じて。そして、一人でも多くの人が理不尽な現実から救われることを願って、私はこれからも筆跡鑑定人として歩み続けます。


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