「この書類、本人が書いたものだろうか?」
そう疑問に思ったとき、筆跡鑑定が有効な手段となります。しかし、従来の筆跡鑑定には、「感情の揺れでも筆跡は変わる」という反論がつきものでした。そんな常識を覆す、新しいアプローチが注目されています。それが、脳科学的な視点を取り入れた筆跡鑑定です。
今回は、この脳科学的アプローチを使って、「なぜ偽造筆跡には不自然な線が増えたり減ったりするのか」を、ある事例をもとに解説します。
偽造者の「苦悩」が筆跡に現れる
ある日、私が鑑定を依頼されたケースです。亡くなった資産家の遺言書に、不自然な筆跡が見つかりました。特に気になったのは、いくつかの漢字で本来不要な線が書き加えられたり(増画)、逆に線が抜けていたり(欠画)することでした。
例えば、「県」という字。遺言書では目(め)の部分が日(ひ)と書かれていました。また、「書」という字では、日(ひ)の部分が目(め)と書かれていたのです。
鑑定を依頼した方は、「本人が病気で手が震えたのでは?」と主張します。確かに、病気や感情の変化で筆跡は変わります。しかし、この増画や欠画は、単なる震えでは説明がつきません。
この不自然さを解明する鍵が、ゲシュタルト崩壊という脳の現象にありました。
ゲシュタルト崩壊とは何か?
ゲシュタルト崩壊とは、同じ文字や図形を長時間じっと見つめ続けると、その文字が意味を持つまとまり(ゲシュタルト)として認識できなくなり、ただのバラバラの線や点の集まりに見えてしまう現象です。
簡単な例を試してみましょう。「林」という漢字を1分間、じっと見つめてみてください。どうでしょうか? 最初は「はやし」と読めた漢字が、だんだんとバラバラの木や点に見えてきませんか? これがゲシュタルト崩壊です。
これは、脳が同じ情報を処理し続けることによる「疲労」が原因で起こります。
偽造筆跡にゲシュタルト崩壊が起きる理由
偽造者は、本物の筆跡を完璧に真似しようと、一画一画に極度の集中力を注ぎます。まるで、手本となる文字を食い入るように見つめ、それを寸分たがわず再現しようとするのです。
この過度な集中と模倣の努力が、脳に大きな負担をかけ、ゲシュタルト崩壊を引き起こします。
事例の偽造者は、「県」や「書」といった漢字を真似る際、その文字が持つ全体的な形を見失ってしまいました。その結果、
- 「県」の真ん中の「目」が、単なる「四角い形」として認識され、中の縦線や横線の数を間違え、隣の「書」の「日」と混同してしまった。
- 「書」の真ん中の「日」が、単なる「四角い形」として認識され、中の縦線や横線の数を間違え、隣の「県」の「目」と混同してしまった。
つまり、この不自然な増画や欠画は、偽造者が完璧に模倣しようと努力した結果、脳が疲労して引き起こされた「ミス」だったのです。これは、病気や感情による偶然の変化とは根本的に異なります。
まとめ
筆跡鑑定は、もはや単なる線の比較ではありません。脳科学的な視点を取り入れることで、偽造者が抱える心理的・身体的負担まで読み解くことが可能になります。
もし、あなたが不審な書類に直面した際は、増画や欠画がないか、そしてそれが偶然の産物ではない可能性に注目してみてください。それは、偽造者がどれほど模倣に苦心したかを示す、確かな証拠かもしれません。


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