数値解析法を考える:理論上の希望と現実の壁

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はじめに

現代の筆跡鑑定は、大きな転換期を迎えています。長年主流だった伝統的筆跡鑑定法が抱える主観性という課題を克服すべく、数値解析法という新たなアプローチが登場しました。これは、筆跡を客観的なデータとして捉え、科学的な分析を試みるものです。この手法は、筆跡鑑定の未来を切り開く希望のように思えますが、現状ではいくつかの乗り越えるべき「壁」が存在します。


数値解析法が持つ理論的な可能性

数値解析法は、筆跡の形状だけでなく、筆記速度や筆圧の変動といった動的な特徴を数値化することで、鑑定人の主観を排除し、客観的で信頼性の高い鑑定を実現する可能性を秘めています。これは、従来の鑑定法が抱えていた「鑑定人の眼力」に依存する問題を根本から解決しうる画期的なアプローチです。

現実の鑑定現場を阻む5つの壁

しかし、この理論が実際の鑑定現場で役立つためには、いくつかの乗り越えるべき「壁」が存在します。

偽造者の技量の壁: 熟練した偽造者が筆跡を巧妙に模倣した場合、その筆跡は本人のものと極めて類似したものとなります。この作為的な類似性が、鑑定において本来の筆跡の特徴と区別できなくなる危険性があります。その結果、真の筆者の筆跡特徴が隠蔽され、鑑定結果の判断を大きく左右する要因となります。

データ収集の壁 :数値解析法で統計的に有意な結論を出すためには、大量の筆跡サンプル(通常30個以上)が必要とされます。しかし、現実の事件現場では、これほどのサンプルを確保することは極めて困難です。

動的特徴の壁: 数値解析法が真価を発揮するのは、筆記用タブレットなどの機器で書かれた筆跡の動的な特徴を分析する場合です。しかし、法科学の鑑定対象となる筆跡の大半は、紙に書かれた静的なものです。このため、現実の鑑定では、数値解析法の強みを十分に活かすことができません。

閾値設定の壁 :筆跡が「同一人物のもの」かを判断するための閾値(しきいち)が、どのように科学的に設定されたのかが不明瞭な段階では、その鑑定結果の信頼性を担保することは難しいです。

個人相変動の壁: 筆跡は、書くときの体調や精神状態、ベッドで寝ながら書いた、立ちながらクリップボードに書いたなどの安定性によって形が大きく変わります。この個人内変動の幅が非常に広いため、静的な特徴だけでは、偶然にも他人の筆跡がその範囲に収まってしまう危険性があります。その結果、異なる人物が書いたにもかかわらず、同一人物と誤って鑑定されるリスクが生じます。

結論:未来への橋渡し

これらの課題から、数値解析法は、理論上は有効であるものの、現状では実際の鑑定で使い物になるとは言えないのが正直なところです。「これまでこの手法が使われてきたから使い物になる」という権威性を象徴する理屈は,このような事実を踏まえれば成り立ちません。

しかし、これは決して絶望的な状況ではありません。筆跡鑑定は、鑑定人の「眼力」に頼る時代から、AIやデータ分析によって「科学」へと進化する過渡期にあります。AI技術の進展により、紙に書かれた筆跡から動的な特徴を推定する研究や、より多くの筆跡データベースを構築する試みが進んでいます。

これらの課題が克服された時、数値解析法は、単なる職人の技ではなく、科学的な根拠に基づいた信頼性の高い証拠となるでしょう。

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