「以前は几帳面だった父の文字が、急に枠線からはみ出した…」「長年連れ添った夫の署名が、まるで別人のように震えていた…」—大切な人の筆跡の急な変化は、残された家族に大きな驚きと不安を与えます。
遺言や契約書などの文書が争点となる筆跡鑑定で、この「病気による筆跡の変化」をどう判断するのか?
私たちが採用する脳科学的筆跡鑑定法は、単なる「形や線の癖」の比較に留まりません。筆跡の変化を「脳の機能の喪失という必然的な結果」として理論的に解明します。このアプローチにより、病的な変化と他人の意図的な偽造が、脳の異なる活動レベルに起因することを科学的に証明できるのです。
🔬 従来鑑定との決定的な違い
従来の筆跡鑑定は、筆跡の結果(紙に残った線の形)を「恒常的な癖」として比較し、その異同を判断します。しかし、脳科学的筆跡鑑定法は、筆跡変化の原因に焦点を当てます。
| 鑑定の視点 | 従来の筆跡鑑定 | 脳科学的筆跡鑑定法 |
| 主な着眼点 | 線や形の現象 | 筆跡を生み出す脳の運動プログラムと認知機能 |
| 変化の解釈 | 「癖が崩れた」という現象面の説明 | 「脳の特定の機能が失われた」という理論的な解説 |
このアプローチにより、病的な変化が「なぜそのように崩れたのか」を客観的に説明することが可能となり、鑑定の説得力が飛躍的に向上します。
1. 手続き記憶の変容:運筆の乱れを運動プログラムの不全と捉える
文字を書くという動作は、自転車に乗るように、一度習得すると無意識に行える「手続き記憶」によって支えられています。この記憶は、主に脳の深部にある大脳基底核や小脳が担う運動プログラムです。
🚨 病的な乱れ(本人の変化)の理論的根拠
認知症やパーキンソン病の悪化に伴い、この運動プログラムの制御が困難になると、筆跡に「制御不能な乱れ」が現れます。
- 事例:運筆速度のムラと筆圧の不安定さ
- 理論的解釈: 運動の自動化を担う大脳基底核の機能不全により、滑らかで一定だった運筆のリズムが失われます。その結果、特定の線やカーブで不自然に速度が低下し、意識が途切れる瞬間に筆圧が急激に弱まる(線がかすれる)という痕跡が残ります。この乱れは、本人の無意識のプログラムが破綻した証拠です。
🧠 偽造との決定的な違い
他人が筆跡を偽造する際は、形を真似ようとする大脳皮質の意識的なコントロールが常に働きます。そのため、無意識のリズムや固有の勢いが失われ、線はぎこちなくなりますが、脳の機能不全による構造的な不規則性を再現することは不可能です。
2. 視空間認知機能の低下:配置の崩壊を頭頂葉機能の喪失と捉える
文字を適切な大きさで、行内に収めて書く能力は、空間の広がりや、ものの位置・方向を把握する能力、すなわち視空間認知機能に依存しています。この機能は主に脳の頭頂葉が担っています。
📐 病的な崩壊(本人の変化)の理論的根拠
認知症(特にアルツハイマー型)などで視空間認知機能が低下すると、紙面上の位置関係を把握できなくなり、筆跡の配置そのものが崩壊します。
- 事例:行からの逸脱や文字の大きさの不規則な変化
- 理論的解釈: 頭頂葉の機能低下により、「どこにどれくらいの大きさで書くべきか」というフィードバックループが壊れます。その結果、以前は整然としていた筆跡が、枠線を無視して極端に斜めに傾いたり、文字が無意識に肥大化・微小化したりします。
- 脳科学的筆跡鑑定法では、このレイアウトという大局的な構造の崩壊こそが、頭頂葉機能の低下を示す動かしがたい証拠と捉えます。
🧠 偽造との決定的な違い
偽造者が「形」を合わせようと意識する限り、配置やレイアウトは比較的整えようとします。したがって、本人の意図とは無関係に文字の全体的な構造が崩壊している現象は、頭頂葉の機能低下という病的な原因がなければ起こり得ません。
✅ 結論:筆跡は脳の活動レベルを語る
脳科学的筆跡鑑定法では、筆跡の変化を脳の活動レベルの違いとして明確に区別します。
- 偽造(変装)は、意識(大脳皮質)による一時的な介入の結果です。
- 病的な変化は、無意識(大脳基底核、頭頂葉など)の運動プログラムや認知機能の構造的な不全の結果です。
このように、脳科学的な理論に基づいて筆跡の変化の原因を解明することで、「この崩れは、病気でなければ起こりえない本人の変化である」という、科学的かつ説得力のある結論を導き出すことができるのです。


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