「目視による鑑定は裁判で重視されない」は本当か? – 筆跡鑑定の現状と誤解を解く

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インターネット上で、弁護士事務所の解説記事などから、「目視による筆跡鑑定は裁判であまり重視されない」「科学・数学的手法こそが裁判資料になり得る」といった記述を目にすることがあります。

しかし、これは多くの筆跡鑑定人が日々直面する鑑定実務の現実や、最新の学説から見ると、大きな誤解や誤認を含んでいます。なぜ、このような「目視軽視論」が生まれるのか、そして裁判手続きにおいて専門的な意見を述べる筆跡鑑定人の真の現状はどうなっているのか、専門家の視点から解説します。


1. 「目視鑑定軽視論」が生まれる背景と弁護士事務所のロジック

「目視による鑑定は重視されない」と主張する背景には、主に「伝統的筆跡鑑定法」のデメリットと、「科学的手法」への強い期待があります。

弁護士事務所の記述は、伝統的鑑定について以下の点を強調します。

  1. 目視鑑定の評価: 経験と知識に大きく左右されるため、鑑定人の実力差が出やすいのがデメリットであり、裁判ではあまり重視されない。
  2. 科学的手法: 機器やソフトを用いて客観的に数値化するため、科学的根拠があり証拠品として採用される

このロジックは、「実力差」というデメリットを過度に強調し、客観的な数値こそが裁判の証拠として優先される、という強い固定観念に基づいています。


2. 鑑定実務の「壁」:数値化の現実的な限界

筆跡鑑定人が実務で最も直面する問題は、鑑定資料の物理的な制約です。科学・数学的手法が現実には適用困難であるという事実が、この論争の核心を突きます。

複写物(コピー)による制約

裁判で争われる文書の多くは、原本ではなく複写物(コピー)です。

  • 科学的手法の限界: 複写物では、筆圧検出器などの高度な機器による厳密な計測に必要な情報(原本の紙の凹凸など)が失われます。
  • 鑑定人の現実的な反論: 複写物が多い鑑定実務において、目視による筆脈や繋がり線の観察は、可能な範囲の最大限の調査です。 数値化を前提としない伝統的な鑑定項目(字画、筆順、配字)を見るのは目視で十分可能であり、これらの項目で目視を軽視するのは、実務の現実を無視した固定観念です。

サンプル数の不足

科学・数学的手法で説得力のある統計的分析を行うには、「30個程度の筆跡サンプルが必要」といった条件が求められます。しかし、遺言書や契約書などの鑑定では、比較対照できる筆跡が極端に少ないことがほとんどです。

結論として、実務の多くでは、資料の制約により「科学・数学的手法」を適用できる環境が整っていません。 鑑定人は、この現実の中で判断を下す必要があります。


3. 「目視」は単なる主観ではない

目視による鑑定が軽視される最大の論点は「主観性」ですが、経験豊かな鑑定人の行う「目視」は、単なる主観ではなく、極めて高度な専門技術です。

鑑定人の「目視」は脳科学的観察

鑑定人が行う「目視」は、顕微鏡(マイクロスコープ)を用いた拡大観察を含み、字画、筆圧、筆順、配字を総合的に分析します。これは、単なる「絵」の比較ではなく、筆者の脳の指令と身体の動作(運筆メカニズム)の結果として筆跡を捉える「脳科学的アプローチ」に通じます。

  • 偽筆の判断: 弁護士事務所の記述にあるように「総合的な調査分析が必要」ですが、この分析こそが、経験豊富な鑑定人の技術と知識に裏打ちされた、目視に基づく高度な判断に他なりません。

「数値化」と「鑑定」の決定的な違い

数値化は単に「データが類似しているか」を示すに過ぎず、「なぜ類似・非類似なのか」という筆者の運筆メカニズムを説明することはできません。鑑定人は、数値を補完し、筆跡の生成メカニズムから論理的に結論を導く役割を担っています。


まとめ:筆跡鑑定の真の価値

「目視による鑑定は裁判で重視されない」という言説は、鑑定人の実力差というデメリットを強調しすぎ、鑑定実務の現実鑑定人の技術の真価を見誤っています。

筆跡鑑定の信頼性は、手法そのものよりも、いかに論理的かつ客観的に「鑑定の理由」を説明できるかにかかっています。高度な技術と経験に裏打ちされた実力のある鑑定人による目視鑑定は、科学的手法が困難な実務の現場で、最も有効で説得力のある手段であり、裁判においてもその価値を失うものではありません。

筆跡鑑定の依頼を検討する際は、「手法の名称」ではなく、その鑑定人が実務経験に裏打ちされた「論理的な説明能力」を持っているかを重視することが極めて重要です。

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