相手の鑑定書に、どう対するか
― 「結論の対立」を「過程の審査」に変える
相手方から自分に不利な鑑定書が提出されたとき、正反対の結論の鑑定書をぶつけるだけでは、裁判所には「専門家の意見が割れている」としか映りません。争点を結論の対立から、判断過程の審査へ移す――それが、相手方鑑定に対する唯一有効な向き合い方です。
なぜ「結論の対立」では勝てないのか
法廷で裁判官が口にすることがあります。「原告と被告とで全く違った内容の鑑定書が出てくることは多く、信用できるものではない」――これは筆跡鑑定への偏見ではなく、判断過程が開示されない鑑定書が二通並んだときの、合理的な反応です。どちらの判断過程が合理的かを審査する手段がなければ、裁判所は双方を割り引くほかありません。
しかし、判断過程が検証可能な鑑定書と、検証できない鑑定書は、結論が対立しても打ち消し合いにはなりません。過程を突き合わせれば、どちらが審査に耐えるかを裁判所自身が判定できるからです。だから、こちらがすべきことは「もっと強く断定する」ことではなく、相手方鑑定の判断過程を審査可能な形に引き出すことです。
相手方鑑定を審査する六つの観点
①資料適格性は審査されているか
比較に用いた資料そのものが、比較に耐えるものかを審査した記載があるか。原本のないカーボン複写、コピーの劣化、改変の可能性――資料の性質を検討しないまま比較を始めていれば、その上に積んだ結論の精度は問えません。
②指摘箇所の選定基準が示されているか
一つの漢字には、指摘できる特徴が数十箇所あります。基準なく数箇所を選べば、同じ筆跡を「同一人」にも「別人」にも導けます。なぜその箇所を選び、他を選ばなかったのかが書かれていない鑑定書は、結論を選べる構造になっています。
相手方に複数の鑑定人がいる場合は、指摘箇所の重なりを数えてください。同一文字について両者の指摘がほとんど一致しないなら、基準が存在しないことを相手方自身が示していることになります。
③根拠なき断定が含まれていないか
「珍しい書き方である」「自然な筆跡である」――結論に直結するのに根拠が示されない記述。特に「珍しい」という主張は、何を母集団として珍しいと言っているのかが示されなければ、検証できません。
④宣言した方法と、実際の分析が一致しているか
冒頭で述べた鑑定方法と、本文で実際に行っている作業が食い違っている鑑定書があります。頁を対比すれば、その乖離は具体的に示せます。
⑤比較の前提が審査されているか
対照資料が本当に本人の筆跡であることは、誰がどう確かめたのか。実務では、他人の筆跡が対照資料に紛れ込んでいることは珍しくありません。ここが崩れれば、比較の一方の土台が失われます。
「対照資料に他の筆者の筆跡が含まれていないことを、あなたはどのような方法で確認しましたか」
形の類似を判断の基盤とする鑑定は、この問いに構造的に答えられません。混入した筆跡は形が似ているからこそ紛れ込むからです(詳しくはこちら)。
⑥結論への導き方が示されているか
共通点と相違点を羅列しただけで、それらをどう重み付けし、どうやって最終的な異同の判断に至ったのかが書かれていない鑑定書があります。個々の指摘が仮に正しくても、そこから結論へ至る経路が存在しなければ、鑑定書としては成立していません。「この共通点とこの相違点から、なぜその結論になるのか」――この一問に答えられるかどうかです。
相違を「本人の変動」で吸収されたとき
相手方鑑定でも判決でも最も多く使われるのが、こちらの指摘した相違を「本人でも書くたびに変わる範囲だ」と処理する説明です。これに対しては、変動には二種類あることを示して切り返します。
揺らぎは、同じ箇所が書くたびにばらつくもので、方向が定まりません。体調や筆記具で変わる、誰にでもあるぶれです。これに対して別人であることの徴表は、同じ箇所が別の方向に安定していることです。ばらついているのではなく、一貫して別の型になっている。
ですから問うべきはこうです。「その相違は、ばらついているのですか。それとも、一貫して別の方向に揃っているのですか」――前者なら本人の変動で説明がつきます。後者は、変動では説明がつきません。この区別を持たない鑑定は、あらゆる相違を「変動」で吸収でき、その結果、何も判定していないのと同じになります。
「似ているから同一人だ」と言われたとき
形が似ていることは、本人が書いたことの証明にはなりません。似せて書けば形は似るからです。ここで問うべきは、その特徴が自然な運筆で書かれているかです。
模倣という行為は、必ず運筆に代償を残します。形を合わせようとすれば筆は遅くなり、抑揚は平板になる。ですから「一致している」という指摘に対しては、その一致箇所の書かれ方まで調べたのかを問えます。淀みなく書かれていれば身についた運動の出力ですが、そうでなければ、一致していること自体が模倣の痕跡になり得ます。
反論は、感情ではなく構造で書く
反論書の目的は、相手方鑑定人の能力や人格を論難することではありません。その鑑定書が、筆者識別を行える構造になっていないことを、具体的な証拠を挙げて示すことです。感情的な否定は、裁判所に「専門家同士の争い」と映り、かえって双方の証拠力を下げます。
当研究所は、鑑定書の作成だけでなく、相手方鑑定書に対する反論書・意見書の作成も承っています。仙台高等裁判所令和3年1月13日判決(判例タイムズ1491号57頁)の事件でも、鑑定書とあわせて反論書を作成し、一審の判断の基礎となっていた既存の鑑定が覆って逆転勝訴となりました(事例の詳細)。
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