平成12年東京高裁判決以降、
なぜ「筆跡鑑定は弱い」という固定観念が広がったのか
問題は、筆跡鑑定という名称ではなく、判決の射程と鑑定方法の中身です。
その一括評価には、重大な主語の拡張があります。 本来問題にすべきなのは、筆跡鑑定一般ではなく、主観的・経験則的な伝統的鑑定手法です。
もし、あなたのお父様の遺言書だったら
もし、あなたのお父様が亡くなった後に、見たこともない遺言書が出てきたらどうでしょうか。
その遺言書には、全財産を特定の人物へ相続させると書かれている。
しかし、あなたは思うのです。
何十年も見てきた字だから分かる。
けれど、録画はない。目撃者もいない。自白もない。
残された手掛かりは、その筆跡だけです。
そんな時、あなたは何を頼りにしますか。
筆跡鑑定です。
多くの依頼人は、筆跡鑑定が万能だから依頼するのではありません。
他に頼れる証拠がないから依頼するのです。
本人の字ではないと感じている。しかし、それを裁判でどう説明すればよいのか分からない。だからこそ、筆跡鑑定が必要とされるのです。
1. 裁判実務に残る固定観念
現在でも、相続、遺言、契約、署名の真正性が争われる場面では、「筆跡鑑定は証明力が弱い」という見方が残っています。
その背景には、平成12年東京高裁判決以降、「筆跡鑑定一般は証明力に限界がある」という受け止め方が実務上広がったことがあります。
しかし、この評価は本来、すべての筆跡鑑定に一律に向けられるべきものではありません。重要なのは、その鑑定がどのような方法で、どの資料を、どの基準により検証しているかです。
2. 本来問題とされたのは、伝統的な経験則型鑑定
過去の裁判例で問題とされてきた筆跡鑑定は、多くの場合、肉眼による見比べ、鑑定人の経験、印象判断に依存する伝統的な鑑定手法でした。
このような鑑定では、比較基準が明確でない場合や、なぜその特徴を重視したのかが第三者に追跡しにくい場合があります。そのため、証明力に慎重な評価が加えられること自体は理解できます。
伝統的な経験則型鑑定
見た目の類似、鑑定人の経験、印象評価を中心に判断されやすく、比較基準や再現性が不明確になりやすい。
構造監査型の鑑定
反復性、成立条件、運動制御、資料全体の一貫性などを確認し、第三者が追跡可能な説明構造を重視する。
3. 平成12年東京高裁判決で起きた「主語の拡張」
本来であれば、「伝統的な経験則型筆跡鑑定には限界がある」という形で、射程を限定して理解すべきです。
ところが、平成12年東京高裁判決以降、その限界論が「筆跡鑑定一般は証明力が低い」という形で受け止められ、実務上の固定観念として残ることになりました。
ここに、筆跡鑑定をめぐる固定観念の大きな問題があります。手法の違い、検証構造の違い、再現性の有無を見ずに、「筆跡鑑定」という名称だけで一括評価してしまうことは、本来の証拠評価として適切ではありません。
4. 最も被害を受けるのは、鑑定人ではありません
「筆跡鑑定は弱い」という固定観念によって最も被害を受けるのは、鑑定人ではありません。
本人の筆跡ではないと感じながらも、他に有力な証拠を持たない依頼者です。
遺言書の作成現場には、多くの場合、録画も、目撃者も、自白もありません。疑問を持った相続人に残されるのは、「この筆跡は本人のものではないのではないか」という違和感だけです。
その違和感を、単なる感情や思い込みで終わらせず、資料に基づいて検証するために筆跡鑑定があります。
したがって、「筆跡鑑定は弱い」という言葉が独り歩きすることは、単に鑑定技術を低く見るだけではありません。最後の手掛かりを持つ依頼者を、奈落の底へ突き落とす言葉にもなり得るのです。
5. この固定観念が本当に危険な理由
この固定観念の危険性は、筆跡鑑定業界の評価が下がることだけではありません。
より深刻なのは、社会全体に「筆跡鑑定は当てにならない」「裁判所も信用していない」という認識が広がることで、文書偽造に対する心理的抑止力が低下することです。
- 「筆跡鑑定には限界がある」
- 「筆跡鑑定は信用できない」
- 「裁判所も筆跡鑑定を信用していない」
- 「ならば、偽造しても立証されにくいのではないか」
- 文書偽造に対する抑止力の低下
これは、遺言書偽造、契約書偽造、借用書偽造、各種文書偽造に関わる社会問題です。
筆跡鑑定の地位低下は、単なる専門分野の問題ではありません。偽造を疑う人を救済しにくくし、同時に偽造を思いとどまらせる力を弱める問題です。
6. 平成12年東京高裁判決が現在の裁判実務へ与えた影響
平成12年東京高裁判決は、その後の実務において、「筆跡鑑定は弱い」という短縮された理解を生みやすい形で受け止められてきました。
その結果、個別の鑑定方法を十分に確認しないまま、筆跡鑑定という名称だけで慎重視される場面が生じています。
しかし、本来確認すべきなのは、鑑定手法が主観的な見比べにとどまっているのか、それとも反復性・検証可能性・再現性を備えた構造監査になっているのかという点です。
7. 26年前と現在では、前提となる分析環境が異なる
平成12年当時、裁判実務で想定されていた筆跡鑑定は、現在のようなデジタル解析、反復性監査、運動制御過程の分析、数理的補強説明を十分に備えたものではありませんでした。
したがって、過去の裁判例における限界論を、現在の構造監査型鑑定にそのまま当てはめることには慎重であるべきです。
8. 本当に確認すべき判断基準
筆跡鑑定で本当に確認すべきなのは、「誰が鑑定したか」「どこに提出されたか」「どの肩書を持つか」だけではありません。
- 比較基準が明確に示されているか
- 単なる見た目の類似に依存していないか
- 反復性が確認されているか
- 資料全体の一貫性が監査されているか
- 第三者が説明過程を追跡できるか
- 反対結果の可能性も検討されているか
- 鑑定の限界が明示されているか
- 結論だけでなく根拠構造が説明されているか
BSHAM™の立場
BSHAM™では、筆跡を単なる外形的な線の形としてではなく、書き手の運動制御過程から生じる出力として監査します。
重視するのは、似ているかどうかという印象ではなく、どの特徴が、どの資料に、どの程度反復し、その反復構造が偶然・模倣・資料条件によって説明できるのかという点です。
したがって、当研究所は、「筆跡鑑定だから弱い」という一括評価ではなく、その鑑定が再現性・検証可能性・反復性を備えているかによって判断されるべきだと考えています。
結論
問題は、「筆跡鑑定が必要かどうか」ではありません。
問題は、「どのような筆跡鑑定であれば科学的に検証可能なのか」です。
もし筆跡鑑定が本当に無意味なのであれば、なぜ現在でも多くの人が遺言書鑑定を求めるのでしょうか。
筆跡鑑定が存在し続けるのは、現実に需要があるからです。
そして需要があるということは、守られるべき人々が存在するということです。
