筆跡鑑定に、AIはできるのか。― 監査役としてのAIと、名ばかりの「AI鑑定」
「AIで筆跡鑑定」という表示が増えました。作業にAIを導入したと公表する鑑定所も現れています。しかし、作業が速くなることは、鑑定の質には何も足しません。文字を数えるのが速くなっても、その鑑定が見ているものは、前と同じだからです。AIが筆跡鑑定に本当に効くのは、別の二つの場所です。そして、その二つを使えるかどうかは、鑑定手法そのものによって決まります。
もくじ
一つ目 ― 鑑定人が一人では持てない「監査役」
鑑定人の最大の弱点は、技術ではありません。自分の判断を、自分では疑えないことです。
結論を先に置いてしまい、それに合う箇所だけを集める。似ている箇所を挙げるとき、都合の悪い箇所を無意識に外す。一人で作業している限り、これは自覚できません。従来の鑑定が抱えてきた問題の多くは、能力ではなく、この構造から生じています。
当研究所がAIに与える問いは、一つの形に固定しています。「批判的な立場から、この判断の欠陥を挙げよ」。感想や評価は求めません。返ってきた指摘は、鑑定人が資料に当たって一つずつ確かめ、当たっていれば所見を改め、当たっていなければ捨てます。
間違えても鑑定人が気づける仕事だからこそ、任せられます。(なお、AIが何も指摘しなかったことを、問題がない証拠としては使いません。AIの沈黙に意味はないという前提で使っています。)
二つ目 ― 研究に使わないなら、研究していないのと同じ
筆跡鑑定は、科学の分野です。科学である以上、前提を疑い、実データで確かめ、査読を経た研究の知見と突き合わせる作業が要ります。それをしなければ、手法は去年のまま止まります。
書字運動の研究は、日本語だけで完結していません。運動制御、神経科学、筆記の生成過程――関連する研究は各国で積み上がっています。その膨大な文献に当たり、自分の判断の前提がそこと矛盾していないかを確かめる。この調査にAIを使わないという選択は、研究をしないという選択と同じです。
当研究所が公開している検証の記録や四段体系は、この作業の産物です。手法は、放っておいて良くなることはありません。
ところが、従来の手法には監査が入りません
ここが、この記事で最もお伝えしたい点です。監査は、AIを繋げば成立するものではありません。
AIが「ここが飛躍していないか」と指摘したとしましょう。その指摘に意味が生まれるのは、資料に戻って確かめられるときだけです。
| 判断の書かれ方 | AIの指摘を、確かめられるか |
|---|---|
| 反復の構造で書く | 「この箇所がn回中m回反復している」と書いてあるので、数え直せます。当たっていれば所見を改め、外れていれば捨てる |
| 形の類似で書く | 「似ている」「経験上そう見える」――照合する先がありません。「私にはそう見える」で終わります |
判断の根拠が鑑定人の内側にあるなら、AIを何台つないでも、指摘を確かめる手段がありません。監査可能性は、後から付ける装置ではなく、その手法がもともと持っているかどうかの性質です。
厳密に言えば、従来型でもAIに校正はさせられます。誤字、資料番号の食い違い、体裁の乱れ。しかしそれは書面の点検であって、判断の監査ではありません。見た目が整うだけで、結論は一度も審査されていないことになります。
しかも、AIに任せるには手順を書かなければなりません
AIは察してくれません。何を、どこを、どう見るのか。言葉にして渡さなければ、一文字も動きません。
ここに、これまで表に出てこなかったことがあります。従来の鑑定が長く守られてきたのは、手順が書かれていなかったからです。書かれていないものは、なぞることができません。なぞれないものは、外から崩されることもありません。
ところが、AIに作業をさせようとした瞬間、初めて手順を書き出すことになります。
実際に公表されている例では、AIに次の前提を与えると説明されています。同じ人でも、時間が経てば筆跡は変わる。縦書きと横書きでは変わる。筆記具を変えれば変わる。
では、その手順どおりに進めると、どうなるでしょうか。
| 調べた結果 | その手順で、何が言えるか |
|---|---|
| 食い違いが 多く見つかった |
いま挙げた三つの前提があるので、「時間が経ったから」で説明がついてしまいます。別人だとは言えません |
| 食い違いが 見つからなかった |
上手に似せて書かれた場合を外す手立てが、その手順の中にありません。本人だとも言えません |
どちらに転んでも、結論が決まりません。それでも、鑑定書には結論が書かれます。ということは、結論を決めているのは、書かれた手順ではないということです。
AIは、形を見る鑑定にとって援軍ではありません。長いあいだ伏せられてきた空白を、初めて外から見える場所に置いてしまう装置です。
なお、変わるのは字の形であって、繰り返し現れる運動の癖ではありません。この二つを分けないまま「筆跡は変わる」と前提に置けば、別の人が書いた筆跡も「変わったのだろう」で通ってしまいます(偽造か、病状による変化か)。
だから「速くなりました」しか言えなくなる
監査には使えない。研究にも使えない――形の類似を見る手法には、手法を更新するという工程がそもそも無いからです。
残るのは、作業を速くすることだけです。文字を切り出す、数える、図を作る。だから告知は「数十時間かかっていた作業が数十分になりました」という形になります。ほかに書けることが無いからです。
そして、速くなるのは今日の鑑定書を作る時間です。判断の中身ではありません。来年の鑑定書も、今年と同じ手法のままです。依頼される方が受け取るのは、納品が早いことだけになります。
そして、判定へ踏み込むしかなくなる
速さだけでは、「AI鑑定」という看板には足りません。AIらしさを示そうとすれば、判定に近づくほかなくなります。
将来は鑑定人とAIの合議のような形で結論を出す――そうした構想が語られるのは、思いつきではありません。監査へ行けない手法がAIを名乗り続けようとすれば、行き着く先はそこしかないのです。
しかし合議によって出された結論は、誤りがあったときに、どちらの判断に由来するのかを分けることができません。人が誤ったのか、機械が誤ったのか、人が機械に引きずられたのか。分けられないものは、直すことも、法廷で問い直すこともできません。そしてAIは、出廷しません。
判定をAIに委ねられない、三つの理由
当研究所が、判定そのものはAIに行わせないと決めている理由も、あわせて記しておきます。
① 学ばせるための「正解」が用意できない
偽造は、練習していないものは形まで違い、十分に練習されたものは瓜二つに書かれます。成績を決めるのは手法ではなく、書いた人の腕前です。しかも遺言事件で模倣の対象になるのは、多くの場合、亡くなる間際の弱った状態で書かれた筆跡で、これは試験用に作れません。自分で問題を作れば「易しい文字を選んだ」という批判を免れません。
そして同時に、正解が作れない以上、当たっている割合も測れません。高い的中率を掲げる説明を見かけたら、何と照合してその数字を出したのかを尋ねてみてください。これは当研究所にも等しく及びます。
② 画像から学ばせると、「形」に引っ張られる
画像の中で最も強い信号は形です。手当てをせずに学ばせれば、機械はそこを見ます。ところが形の類似は、本人が書いた場合にも、上手に似せられた場合にも同じように現れます。つまり巧みに似せられたものほど「同じ書き手」と判断する方向へ育ちます。加齢で揺らぎが増えただけの筆跡と、別の人が書いた筆跡も、形では分けられません(偽造か、病状による変化か)。
③ 理由を説明できない
法廷では「なぜそう判断したのですか」と必ず問われます。求められているのは結論の自信ではなく、どの資料のどの箇所を見て、どういう基準で考えたのかです。機械の判断は、この問いに答えられません。答えるのは人ですが、なぜそう出たのかを人が説明できないなら、それは説明ではなく追認です。
そして判定の正否は、後から答え合わせできません。誤っても誰も気づけない場所に、AIは置かない――これが、①の監査役との決定的な違いです。
AIが相手に合わせて答えを変えてしまう性質については、実際にあったやり取りをもとに別のコラムで解説しています(AIに褒められても、証明にはならない)。当研究所におけるAIの役割の正式な開示はこちらです。
確かめるのは、一問で足ります
依頼先を選ぶとき、あるいは相手方から鑑定書が出てきたとき、確かめるのはこれだけです。
「AIを、何に使っていますか」
作業を速くするために使っているのか。それとも、自分の判断を点検し、手法を更新するために使っているのか。前者であれば、依頼される方が受け取るのは納品の早さだけです。「AIを導入した」という表示そのものは、鑑定の中身が良くなったことを意味しません(筆跡鑑定の正しい選び方)。
代理人の先生へ
相手方の鑑定にAIが使われている場合、尋問はこの順で入ります。
「AIに判断の点検をさせたとのことですが、その指摘を、あなたはどうやって確かめましたか」
「……」
「確かめる方法が、その鑑定書にありますか」
判断が形の類似で書かれている鑑定書は、この一問で行き止まりになります。照合する先が、書面の中に存在しないからです。組み立ての詳細は法務専用資料室に整理しています。
最後に一つ。選別の基準は「AIを使ったかどうか」ではありません。その手法が、監査に耐える形で書かれているかどうかです。それは、AIが現れるより前から、鑑定書に求められてきたことでもあります。


