なぜ、DNA鑑定の不正だけが「事件」になるのか

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2026年6月4日、警察庁が佐賀県警の科学捜査研究所に対する特別監察の結果を公表しました。元職員が単独で行ったDNA型鑑定などを一件ずつ調べ直したところ、643件のうち239件で不適切な取扱いが確認されています。約4割です。

報道の関心は「なぜ不正が起きたのか」に集まりました。ここでは、少し別の角度から見ていきます。

同じ問いを、筆跡鑑定に向けてみる

筆跡鑑定で、これと同じ規模の話を聞いたことがあるでしょうか。

ないはずです。過去に一度もありません。

では、筆跡鑑定はDNA鑑定より正確なのでしょうか。

そうではありません。理由は、まったく別のところにあります。

DNAでは、なぜ不正が「見つかった」のか

DNA鑑定には、決まった手順があります。何をどの順で行い、何を記録に残すのかが決まっています。

だから、やっていない工程をやったことにすれば、記録の辻褄が合わなくなります。後から一件ずつ突き合わせることができる。643件を調べ直して、239件と数えることができた。

つまり今回の件は、DNA鑑定が弱いことの証拠ではありません。手順から外れた者を、手順の側が捕まえたということです。

筆跡鑑定では、外れる者がいない

ここで、よくある誤解を先に片づけておきます。

従来の筆跡鑑定に手順が無いわけではありません。手順はあります。文字の形を並べ、似ているところと違うところを数え、その積み重ねで筆者を判断する。長く共有されてきた、はっきりした手順です。

問題は、その手順の中身です。

その手順には、偽造を考慮する工程が入っていません。

そして、形だけを見る手順は、偽造に対して逆向きに働きます。

偽造の型形はどう見えるか形を見る手順が出す答え
模倣
(他の書き手の字に似せて書く)
似ている本人が書いた
韜晦
(本人がわざと崩して書く)
似ていない本人ではない

どちらも、偽造した側が狙ったとおりの答えです。形を見る手順が見分けられるのは、似せるつもりのない、まったく無関係な書き手だけです。

ここが、DNAとの決定的な違いです。

DNA=手順から外れたときに、間違える

だから、外れた者を探せば見つかります。643件を調べれば、239件が出てきます。

従来の筆跡鑑定=手順どおりにやったときに、間違える

だから、誰も外れていません。全員が正しく手順を守っています。監察をしても、不正は一件も出てきません。

筆跡鑑定が静かなのは、きれいだからではありません。誤りが手順そのものに組み込まれているので、外れた者として数えられないからです。

これは、単に足りないという話ではありません

工程が一つ抜けている、という程度の話に聞こえるかもしれません。そうではありません。

一つ目。抜けているのが、必要な場面のすべてです。鑑定が呼ばれるのは、偽造が疑われたときだけです。ほかの場面では使われません。つまりこの手順は、使われる場面の全部で、その場面に要る工程を欠いています。

二つ目。欠けていることが、鑑定書の見た目に出ません。「偽造については検討していません」とは書かれていません。図があり、指摘があり、結論がある。読む側には、完成した文書に見えます。

三つ目。この手順は、公になっています。どう書けば、どういう結論が出るのか。書く前から分かります。似せて書けば「本人」、崩して書けば「別人」。結論を注文できるということです。欠陥のある道具ではなく、使い方の分かっている道具になっています。

四つ目。費用を払うのは、偽造された側です。身に覚えのない書面を突きつけられた人が、筆跡鑑定を依頼します。そして、よく似せて書かれていれば「本人の筆跡である」という鑑定書を受け取ります。自分に不利な結論を、自分の費用で作って、自分で法廷に出すことになります。

偽造を扱わない手法は、偽造に対して中立ではありません。

「模倣なら痕跡が残るはずだ」という説明について

この点を指摘すると、決まって返ってくる説明があります。

模倣であれば、書く速さが落ちるので痕跡が残る。この筆跡には加筆がない、線に張りがある、震えもない。だから模倣ではない――という形です。

これは、判定の基準になりません。理由は三つあります。

一つ目。分母がありません。模倣された筆跡のうち、そうした痕跡が現れるのは、いったいどれくらいの割合なのか。よく練習した者は、瓜二つに書きます。痕跡の不在で除けるのは、練習していない下手な偽造だけです。実際に争いになるのは、そうではないほうです。

二つ目。反証条件がありません。遺言書の鑑定は、ほとんどが高齢の方の資料です。本人が書いても線は揺れます。揺れがあれば「高齢によるものだ」と説明でき、揺れが無ければ「模倣ではない」と説明できる。どちらに転んでも自分の結論を支えられる基準は、何も除いていません。

三つ目。それは偽造した側にも見える指標です。加筆の有無も線の張りも、離して眺めれば分かります。見えるものは、偽造しようとする者も見ています。練習が集中するのは、まさに人目に触れる署名です。対策された指標を、対策の検出に使っていることになります。

ですから、確かめ方はこの一問で足ります。

「加筆がなく、線に張りがあり、震えもない。それが模倣ではない根拠なのですね」

「はい」

「では、どのような結果が出ていたら、あなたは模倣だと判断したのですか

ここに答えが出ません。「震えがあった場合」と答えれば、高齢の方の資料では本人が書いても震えることを認めることになります。答えられないのであれば、その三つは判定の基準ではなく、結論に添えられた言葉だったということです。

批判と受け取った時点で、確かめなくてよくなります

ここから先を読む前に、一つだけ。

ここまでの話を、同業者への批判として受け取る方がいると思います。そう分類してしまえば、話は楽になります。立場の違う二者が言い争っている、という形にしてしまえば、どちらが正しいのかを調べる必要が無くなるからです。

しかし、ここに書いたことは意見ではありません。確かめられる事柄です。

  • よく似せて書かれた筆跡を、形を比べる手順がどう判定するか。実際に試せば分かります。
  • お手元の鑑定書に、偽造を検討したという記載があるか。開いて探せば分かります。
  • 鑑定人の腕前が測られたことがあるか。その結果が公表されているかを探せば分かります。

批判かどうかは、読む側の受け取り方の問題です。書いてあることが本当かどうかは、受け取り方とは何の関係もありません。

そして、ラベルを貼って中身を見ないで済ませることこそ、この分野でずっと行われてきた動作です。裁判所は正反対の鑑定書を見解の相違として括ります。検索は中身を測らずに順番を付けます。読む側は同業者の言い争いとして片づけます。どれも、確かめる手間を省く同じ動作です。

その方法をとった鑑定人の責任は、問われるべきです

ここまでを、手順の話として書いてきました。しかし、手順が勝手に鑑定書を書くわけではありません。

DNAの不正は、人の問題です。人の問題は処分ができます。今回も県警の幹部が処分され、県弁護士会は第三者機関による調査を申し入れています。

従来の筆跡鑑定では、処分される者がいません。だからといって、責任が無いわけではありません。その方法を選んだのは、鑑定人自身です。

  • 依頼された時点で、その事案は偽造が疑われている事案です。偽造が争点でなければ、鑑定は必要ありません。
  • そこに、偽造を扱わない手順を当てた。これは道具の選択です。
  • 模倣と韜晦は、筆跡鑑定の初歩の概念です。知らなかったのなら能力の問題であり、知っていて使ったのなら、それより重い問題です。
  • そして「この方法は、似せて書かれていた場合には逆の答えを出します」と鑑定書に書かないまま、断定で結論を出しています。

最後の一点が決定的です。専門家が自分の方法の限界を伏せたまま、裁判所に断定を提出したということだからです。尋問では、こうなります。

「あなたの手法は、模倣された署名についてどのような結果を出しますか」

「よく似ていれば、本人の筆跡と判断します」

「では、模倣が巧みであるほど、本人と判断されるのですね」

「……」

「そのことを、この鑑定書のどこに書きましたか」

手法の優劣を争う必要はありません。書かなかったことが、そのまま責任です。

そして、知らなかったでは済みません。

模倣と韜晦は、筆跡鑑定を仕事にしている者であれば誰でも知っています。専門書に書かれていますし、依頼が持ち込まれる場面そのものです。知らない鑑定人はいません。

知ったうえで、何が行われているのかを並べます。

  • 依頼する側は、偽造かどうかを判定してもらえると思って費用を払います。
  • 受け取る側は、その手順が偽造の場面で逆の答えを出すことを知っています。
  • それを伝えないまま、断定の結論を書いた鑑定書を渡します。
  • 依頼した側は、それを偽造の判定だと信じて、法廷に提出します。

これを、専門家の見解の相違と呼ぶことはできません。

そして、その鑑定人を選んでいるのは裁判所です

自分で鑑定人を選ぶ場合であれば、依頼する側が確かめることができます。しかし、裁判所が職権で鑑定を命じたときは、当事者に選ぶ余地がありません。

では、裁判所は何を基準に選んでいるのでしょうか。

手法の中身ではありません。経歴、所属している団体、そして過去に裁判所から依頼を受けた実績です。

ここで輪が閉じます。

裁判所が選任する
→ それが「裁判所から依頼を受けた実績」として掲げられる
→ 依頼する側は、それを信頼の証と受け取って選ぶ
→ 同じ手順による鑑定書が大量に世に出る
→ 鑑定書どうしが正反対の結論で対立する
→ 「筆跡鑑定は当てにならない」という見方が強まる
→ それでも次の選任は、同じところから行われる

前に選ばれたことが、次に選ばれる理由になっています。その間、方法の中身は一度も測られていません。

しかも、裁判所は筆跡鑑定を重視しないという姿勢を、長く示してきました。当事者が鑑定を出そうとすると、費用をかけても重視しないと告げられることさえあります。

その一方で、職権で鑑定を命じるときには、同じ手法の鑑定人を自ら選任し、その鑑定書に裁判所の名前を付けています。

重視しないのであれば、選ぶべきではありません。選ぶのであれば、その手法の中身を確かめるべきです。

どちらも行われていません。方法が問われないまま、権威だけが与えられています。

そして当事者は、その選任を断ることができません。裁判所が選んだ鑑定人であるという事実そのものが、結論を強く支えます。選任は、その鑑定に裁判所の信用を貸す行為です。貸す以上、責任が伴います。

ここでも、知らなかったでは済みません。

筆跡鑑定は当てにならない、と言ってきたのは裁判所自身です。問題があることを知っている側が、その中身を確かめないまま選んでいます。

しかも、鑑定人の場合より重い点があります。

  • 自分で依頼した鑑定人であれば、少なくとも依頼した人との間に約束があります。裁判所が選んだ鑑定人には、それがありません。
  • 当事者は、その鑑定人を断ることも、選び直すこともできません。
  • そして、その鑑定書をもとに出た判決の結果を、裁判所が引き受けることはありません。

知りながら、確かめず、断れない相手に与える。これを手続きの一部と呼ぶことはできません。

そして、依頼する人が最初に会うのは検索結果です

責任の重い順に並べれば、鑑定人、裁判所、と続きます。しかし、当事者の側から見ると順序は逆です。

最初に会うのは、検索結果です。

「筆跡鑑定」と検索して、上のほうに出てきたところに問い合わせる。それが実際の入口です。

では、検索は何を測って順番を決めているのでしょうか。

他のページからどれだけ引用されているか。そのドメインがどれだけ古いか。ページの分量。更新の頻度。どれも、その手法が偽造に答えているかどうかとは無関係です。

しかも、この分野で順位を上げるのに効きやすいのは、取扱件数、経験年数、裁判所からの依頼歴といった、外から確かめられない数字を大きく載せることです。

確かめられないものほど、上に来ます。

検索する側は、それを推薦として受け取ります。順位が信頼の順に見えるからです。並べている側は「順位は推薦ではない」と言うでしょう。しかし、判断していないものを順番に並べて見せれば、それは推薦として働きます。そして、その順番で人生が決まる人がいます。

念のため、当研究所についても書いておきます。当研究所も検索順位を気にしていますし、上に出るための手当てもしています。そして順位は、当研究所の鑑定が正しいことを何ら示しません。このページが検索の上のほうに出ていたとしても、それは何かを確かめたことにはなりません。

代償を払うのは、当事者です

そして、誤りが出る向きが問題です。

個人の不正であれば、その者を止めれば止まります。手順に組み込まれた誤りは、誠実な鑑定人が手順どおりに行うたびに、何度でも同じ形で繰り返されます。止まるきっかけがありません。

しかも、その誤りは偶然の向きには出ません。似せて書けば「本人」、崩して書けば「別人」。常に、偽造した側に有利な向きにだけ出ます。

たとえば、借用書に自分で署名しておきながら、後で「これは自分の字ではない」と否認する。署名のときに、わざと自分の字を崩して書いておく。形を見る鑑定は、そこで「似ていない」と読み、否認した側の言い分どおりの結論を出します。

遺言書では、向きを変えて同じことが起きます。よく似せて書かれていれば、形を見る鑑定は「本人の字である」と読みます。

そこで動くものは、小さくありません。相続の権利が動きます。負債を負うかどうかが決まります。偽造を主張した側が、かえって不利な立場に置かれることもあります。判決で確定してしまえば、後から取り返す道はほとんど残りません。

間違いが数えられない分野では、間違いの費用を、いつも立場の弱いほうが払います。

鑑定人の腕前を測る方法は、実は在ります

ここまで読むと、確かめようがないように見えるかもしれません。そうではありません。

同じ資料を鑑定人全員に配り、それぞれの結論を公開すればよいのです。

答えの分かっている資料を使えば、誰が当て、誰が外したかがその場で出ます。一人が自分で行っても意味がありません。全員が同じ問題を解いて初めて、腕前の差が見えます。

難しい話ではありません。費用もほとんどかかりません。それでも行われていません。

当研究所は七年前、これを公開で呼びかけたことがあります。応じた鑑定人は、一人もいませんでした。

腕前を測る方法が無いのではありません。測られることを避けているだけです。そしてその状態が続くかぎり、方法の中身を問われないまま、経歴と件数だけで選ばれ続けます。

当研究所を選べ、という話ではありません

ここまで書いてきたことを、そのまま当研究所にも当てます。

当研究所にも、誤り率という数字はありません。出し惜しんでいるのではなく、筆跡鑑定では原理的に出せないからです。理由は四つあります。

  • DNAや指紋は、別の手段で答えを確かめ直すことができます。筆跡には、その手段がありません。
  • 遺言書の鑑定では、唯一の答えを知っている本人が、すでに亡くなっています。
  • 判決も答えにはなりません。判決は筆跡の真偽を記録したものではなく、その裁判での心証を記録したものだからです。
  • したがって、誤り率が確かめられた筆跡鑑定は、当研究所のものを含めて、一つも存在しません。

ですから、鑑定書に的中率や精度の数字が書かれていたら、その数字が何を数えたものなのかを確かめてください。これは当研究所の鑑定書についても同じです。

数字の代わりに確かめられることは、あります。どの箇所を指摘したのか、なぜその箇所を選んだのか、同じ資料を見た者が同じ手順をたどれるのか。これが書いてある鑑定書は、誤っていた場合に、外から誤りを指摘することができます。書かれていない鑑定書は、正しくても誤っていても、外から見た姿が同じです。

肩書きでも、取扱件数でも、経験年数でもありません。確かめるべきは、偽造にどう答えているかと、その判断を後からたどれるか。この二点です。

その手順を選んだ鑑定人、その鑑定人を選んだ裁判所、そのページを上に並べた検索。
そのどれもが、中身を確かめていません。

今回のDNAの件は、筆跡鑑定にとって安心できる話ではありません。
DNAには、239件を数えて責任を問う仕組みがありました。従来の筆跡鑑定には、その仕組みがありません。
責任が無いのではなく、まだ誰も数えていないだけです。

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