以前の記事で、多くの筆跡鑑定が陥りがちな罠についてお話ししました。それは、「誰でも書くような特徴」や「標準的な書き方」を根拠に、「同一人物の筆跡である」と安易に結論づけてしまうことです。しかし、本当に重要なのは、その筆跡にどれだけ「希少性のある特徴」が含まれているかです。
では、どうすればその特徴が本当に希少性のあるものだと証明できるのでしょうか? それは、「客観的なデータ」、つまりデータベースが必要になります。
「鑑定人の勘」は科学的根拠にならない
多くの筆跡鑑定人は、長年の経験から「これは珍しい書き方だ」と判断します。しかし、これはあくまで個人の感覚に過ぎず、科学的な根拠にはなりません。例えば、「ツ」の文字を縦並び(シ)のように書く人がいるとします。この書き方が本当に珍しいのかどうかを証明するには、「100人中3人しかこの書き方をしない」といったような、具体的な数値で示す必要があるのです。
統計学から見る「100人」という数字の根拠
そこで、私が活用している筆跡データベースの規模について、よく「100人分で十分なの?」という質問を受けます。この質問にお答えするために、統計学の観点から「100人」という数字の妥当性を解説します。
統計学には、「許容誤差(Margin of Error)」という考え方があります。これは、「調査結果が母集団の真の値から、どれくらいズレる可能性があるか」を示すものです。ブログ記事で書かれた「プラスマイナス10%」とは、この許容誤差のことを指します。
この許容誤差を10%、さらに信頼水準(調査結果がどれくらい信用できるかを示す指標)を95%と設定して計算すると、必要なサンプルサイズは約100人であることがわかります。
計算方法
これは以下の数式で導き出されます。
n=E2Z2⋅p(1−p)
- n: 必要なサンプルサイズ
- Z: 信頼水準に応じたZ値(95%信頼水準の場合、1.96)
- p: 母集団における割合の推定値(この場合、最も誤差が大きくなる0.50を使用)
- E: 許容誤差(この場合、0.10)
この式に数値を当てはめると、
n=0.1021.962⋅0.50(1−0.50)≈96.04
となります。したがって、約96人、切り上げて100人分のサンプルがあれば、許容誤差10%で95%の信頼度をもって、「ある筆跡の特徴がどれくらいの割合で出現するか」を推定できる、という根拠になります。
もちろん、この計算は理想的な状況を前提としています。実際の調査では、サンプルの偏りなどを考慮する必要があるため、より多くのサンプルがあれば精度は向上します。しかし、「100人」というサンプルサイズは、筆跡の特徴の希少性を証明するための、非常に有力な根拠となるのです。
データベース鑑定が拓く、筆跡鑑定の未来
「なんとなく珍しいから」という主観的な判断ではなく、「100人のうち何%がこの書き方をする」という客観的なデータに基づいた筆跡鑑定。これこそが、筆跡鑑定の信頼性を高め、裁判の場でも通用する、「科学的根拠のある鑑定」です。
私が他所の鑑定書に、いまだかつてデータベースを用いたものを見たことがない、という事実は、日本の筆跡鑑定業界が抱える大きな課題です。しかし、この現状を変えるべく、私はこれからもデータベースを活用し、科学に基づいた鑑定を提供し続けます。
あなたの筆跡鑑定は、本当に「科学的」ですか? このブログが、筆跡鑑定の新しいあり方を考えるきっかけになれば幸いです。


