【重要】筆跡鑑定に「10年ルール」は存在しない 〜 経験則と科学の明確な境界線〜

所長コラム

「10年以上前の筆跡は鑑定できない」

このような話を聞いたことがありますか?重要書類の偽造が疑われる際、しばしば耳にする「筆跡鑑定のタイムリミット」という言葉です。しかし、結論から言えば、この「10年ルール」には科学的な根拠は一切ありません。これは、過去の筆跡鑑定人の経験則が広まったものに過ぎません。

この記事では、あなたの筆跡がどのように作られるのか、そしてなぜ鑑定に時間的な限界がないのかを、身近な例を交えて解説します。読者の皆さんが筆跡鑑定に対する正しい理解を深められるよう、誤解の元となる点も明確にお伝えします。


筆跡は「体に染み付いた記憶」である

自転車に乗る方法や、楽器を演奏する方法を一度覚えたら、何年経っても体が覚えているはずです。文字を書くという動作も、全く同じメカニズムで脳に記憶されています。私たちの脳は、その動きを「手続き記憶」として深く記憶しているからです。

この記憶のおかげで、私たちはたとえ久しぶりに文字を書いたとしても、ある程度は昔と変わらない筆跡で書くことができます。これが、「筆跡鑑定に時間的な限界はない」と言える科学的な理由です。

では、なぜ「10年」といった話が出てくるのでしょうか?

それは、筆跡の「核」(文字の骨格や基本的な構造)は手続き記憶によって安定している一方で、筆跡を表現する「癖」(線の滑らかさ、筆圧の強弱、文字の大きさなどの微細な特徴)は時間と共に変化するからです。この変化は、書く人の筆記頻度や、病気、加齢、生活習慣に大きく左右されます。


【最も重要な点】「伝統的鑑定」と「脳科学的鑑定」は根本的に異なるアプローチです

筆跡鑑定の分野には、主に二つの異なるアプローチが存在します。これらの概念が混同されることが、読者の皆さんの間で大きな誤解を生む原因となっています。

1. 伝統的筆跡鑑定

これは、筆跡鑑定人の長年の経験と、筆跡の形態的特徴(文字の形、筆順、線の太さ、バランス、字粒の大きさ、行の傾向など)を目視で比較・分析する手法です。鑑定のロジックは、筆跡の個人差や変動に関する経験則的な知見に基づいています。このアプローチは、筆跡が時間と共に変化する事実を経験的に把握していますが、その変化がなぜ、どのように生じるのかを脳科学的な原理に基づいて説明するものではありません。

2. 脳科学的筆跡鑑定

これは、筆跡を単なる文字の形ではなく、「脳の運動制御システムと手続き記憶が作り出す運動の痕跡」として分析する、全く新しいアプローチです。筆圧、筆記速度、文字の空間的ゆらぎ、リズムといった動的なデータを客観的に計測・分析することで、筆跡形成のメカニズムや、執筆者の個性を神経科学的知見に基づいて深く探ります。鑑定のロジックは、脳科学・神経科学の理論とデータ分析に根ざしています。

【明確な区別】 手続き記憶や脳の可塑性は、脳科学の概念であり、伝統的筆跡鑑定の範疇ではありません。 伝統的鑑定は、長年の経験から「筆跡が変化する現象」を認識してきましたが、その理由を「手続き記憶」という脳科学の用語で直接的に根拠づけることはありません。脳科学的筆跡鑑定は、この筆跡の変化を、全く異なる視点と科学的なロジックで解明する独立した学問分野です。両者は最終的な目標こそ共通するものの、その分析手法と根拠とする科学が根本的に異なります。


結論:筆跡鑑定にタイムリミットはない。鍵は「あなたの生活」

筆跡鑑定に単純な「10年」という時間軸による限界はありません。本当に大切なのは、筆跡が書かれた時期と、その時の筆者の筆記頻度や生活習慣です。

  • 長年手書きから遠ざかっていた人の筆跡は、昔の「手続き記憶」が色濃く残っているため、過去の筆跡との比較がしやすい場合があります。
  • 一方、毎日何十通もサインをするような人の筆跡は、効率化や習慣化により、書くたびに微細に変化し、進化していくことがあります。

真に優れた筆跡鑑定人とは、単なる経験則だけでなく、筆跡の背景にある筆者の生活状況や、必要に応じて脳科学的知見も考慮に入れることで、多角的に筆跡の本質を見抜くことができる専門家です。

このブログ記事が、筆跡鑑定に対する誤解を解消し、その奥深さと科学的な側面を正しく理解する一助となれば幸いです。

【筆跡鑑定の「不都合な真実」を知りたい方へ】

本記事でも触れた、法廷における筆跡鑑定の証拠価値が著しく低い現実や、科学的根拠のない「でたらめな鑑定」が業界に横行している実態については、拙著『筆跡鑑定をダメにした知ったかぶりの輩たち』にて詳細に告発しています。
なぜ従来の鑑定法が裁判で通用しないのか、その構造的な闇と実務の実情を知りたい方は、本書をご参照ください。

Amazonで詳細を見る

所長コラム

【業界の不正を断つ、科学的根拠】

鑑定業界の倫理的課題と、それを根本から解決する当所の「脳科学的筆跡鑑定法(BSHAM™)」の論理的・統計的根拠は、こちらの専門ページで詳しく公開しています。

科学的証明・研究報告ページはこちら