序章:鑑定哲学の衝突と異常な現実
私の提出した鑑定書に、8割以上の確率で相手方から真逆の結論の反論書が提出されるという異常な現実。これは、単なる専門家の意見対立ではありません。これは、体系化された科学的根拠を持つ鑑定法 対 論理が崩壊した従来の鑑定法という、鑑定哲学の根本的な衝突であり、日本の法廷で起きている鑑定業界の恐ろしい崩壊の証拠です。
鑑定結果は「本人の筆跡であるか、そうでないか」の二択であり、目をつぶって決めても当たる確率は50%です。この「8割反論」というデータが示す、筆跡鑑定業界の恐ろしい真実を深く考察します。
1. ⚔️ 「8割反論」が暴いた従来の鑑定法の真の無力さ
私が確信を持って提出する鑑定結果に対し、8割以上の反論書が真逆の結論を主張しています。
- 異常な構図の証明: 鑑定結果の正否は二択であるにもかかわらず、従来の鑑定法が導く結論が私の結論と真逆である確率は8割を超えています。これは、従来の鑑定法が、正当率が20%以下であることを、この実務データが動かしがたい事実として証明しているのです。
- サイコロ以下の精度: 従来の鑑定法は、目をつぶって決める50%の確率よりも遥かに低い正当率で鑑定を行っています。このデータは、従来の鑑定手法がもはや法廷での証拠能力を根本的に失っていることを意味します。
2. 🎯 「似ている筆跡」に依存する恐ろしい誤謬の構造
従来の鑑定法が、なぜこれほどまでに真実から遠い結論を導き出してしまうのでしょうか?それは、鑑定の焦点が完全に間違っているからです。
- 表面的な類似性への依存: 従来の鑑定法は、「似ている筆跡であれば高確率で同一人の筆跡という結論になる」という表面的な形状の類似性に依存しています。この構造は、巧妙に似せて書かれた筆跡(偽造筆跡)を容易に見逃す致命的な脆弱性を持ちます。
- ノイズの混同という愚行: 多くの鑑定士は、体調や姿勢による一時的な変動である「ノイズ」と、筆者固有の「純粋な筆跡個性」の違いを認識せず、表面的な「似ている」部分に騙されます。ノイズを計測しても、鑑定結果に科学的な意味はありません。
- 崩壊した論理: 筆跡の変動幅を正確に特定するために必要な統計学的な最低限のサンプル数(30個以上)に対し、実際の鑑定実務ではわずか数個しか集まらないという「30個の壁」の崩壊が起きています。このデータ不足は、分析が統計的根拠を完全に失うことを意味します。
3. 🔥 裁判所の「指名」という権威を利用した宣伝の終焉
正当率が20%以下である可能性を示すデータがあるにもかかわらず、「筆跡鑑定は証拠能力が低いが、鑑定人の経験や集積があるから一定程度信用のおけるものだ」といった主張がまかり通っています。ふざけるのもいい加減にすべきです。
私が体系化した論理構造が、従来の鑑定法が体系的に鑑定不可能であることを証明した今、事態は一刻を争います。
- 即刻の停止: 裁判所は、論理的に鑑定ができないことが証明されたこれらの鑑定法を採る鑑定人に、即刻鑑定書を書かせてはなりません。
- 権威の悪用を終わらせる: 「裁判所が指名する」といった馬鹿げたことはもう終わりにしましょう。裁判所の指名という権威が、その鑑定人の広告として利用されるという、この腐敗した構造を断ち切らなければなりません。
4 公的機関に求められる「科学的説明責任」
裁判所や検察庁といった国家機関は、公的な依頼実績を背景に持つ以上、その採用する鑑定手法について国民に対し科学的説明責任を果たす義務があります。
もし、従来の鑑定法が本当に科学的根拠を持つのであれば、以下の問いに答えるべきです。
①「30個の壁」の崩壊という統計的な破綻に対し、どのように筆者識別能力を担保しているのか?
②ノイズ計測が偶然の産物ではないことを、どのように統計的に証明できるのか?
➂閾値(判断境界線)の設定根拠と、その閾値によって導かれるエラー率を公開できるのか?
この疑問に答えられない限り、その鑑定法は論理的に破綻しており、司法の場から追放されるべきです。
二瓶淳一は、この業界の構造的欠陥と真摯に向き合い、真に精度が高く、科学的根拠を持つ鑑定法の普及こそが、国民の利益と司法の公正を守る唯一の道であると確信しています。筆跡鑑定の結果が人の人生を左右する以上、感情や曖昧な経験論ではなく、科学的根拠と論理に基づいた鑑定のみが法廷で許されるべきです。この異常な構造を正す使命は、今、ここにあります。


