ある鑑定書に、目を疑うような一節が記されていました。 「別人が模倣したなら、露見を恐れてもっと似せるはずだ。字形が異なるのは模倣の意図が認められないからだ」という論理です。
これは法科学でも何でもなく、単なる鑑定書作成人による「個人の感想(空想)」に過ぎません。裁判所が求めているのは鑑定書作成人の「超能力的なプロファイリング」ではなく、客観的な「身体的痕跡」の証明であるはずです。
脳は「似せよう」と思っても、命令に従わない
筆跡は、脳の深部にある「手続き記憶(運動プログラム)」によって無意識に出力されます。
- 運動制御の限界:偽造者が「本物に似せよう」と強く念じても、脳が長年かけて構築した自身の「運動指令」を瞬時に書き換えることは生物学的に不可能です。
- 必然的な不一致:「似せる意図」があるから似るのではなく、「脳のプログラムが異なるから、物理的に似ない」のが真理です。この基本を無視し、「似ていないから本人だ」と断じるのは、専門家として極めて「間抜け」な論理破綻と言わざるを得ません。
「心理」ではなく「痕跡」を見よ
「露見を恐れる心理」を語る前に、偽造筆跡に必ず現れる「物理的事実」を直視すべきです。
- 作為的連続線肥大:似せようと慎重に書けば書くほど、筆記速度は落ち、線は不自然に太くなり、震えが生じます。これは「心理」ではなく「運動の拒絶反応」です。
- 監査役の断罪:これらの物理的エビデンスを無視して、「犯人はもっとうまくやるはずだ」という願望に近い推測で結論を出す鑑定書は、もはや証拠としての適格性を欠いています。
結論:その鑑定書は「人生を預けるに値するか」
「先生」と呼ばれ、過去の採用実績に胡坐をかいている鑑定書作成人は、自分の書いた「空想」が依頼人の人生を破壊している自覚がありません。
裁判官や弁護士が求めているのは、鑑定人の「自説」ではなく、脳科学と統計学(ラプラスの法則等)に裏打ちされた、誰が監査しても同じ結論に達する「再現性のある真実」です。


