自分の筆跡が、メモ書きのときと正式な手紙を書くときで違って見えることに気づいたことはありませんか?それはごく自然なことですが、実はその背後に科学的な理由があるのです。それは、筆跡鑑定の分野に革命をもたらしつつある、「手続き記憶」という概念と深く関係しています。
手続き記憶とは何か? 🤔
手続き記憶とは、簡単に言えば、あなたの脳に蓄積された「やり方」の記憶です。自転車の乗り方、楽器の演奏、キーボード入力のように、意識的な努力を伴わずに体が自動的に行うことができる「無意識の動作の記憶」を指します 。
文字を書くという行為もまた、この手続き記憶に深く根ざしています 。私たちは文字を書く際、一画ごとの線の長さや角度を意識しているわけではありません 。長年の練習によって脳に記憶された「手指の運動動作」を無意識のうちに再現しているのです 。この無意識の動作が、その人固有の「書き癖」として筆跡に現れます 。
筆跡を構成する3つの要素
手続き記憶の観点から、筆跡は以下の3つの要素に分解できます。
- 単なる変動:これは、書くたびに変化する表面的な特徴です。急いで書いた時と丁寧に書いた時で文字の大きさが変わるなどがこれに当たります。これらは一貫性がないため、個人を特定する根拠にはなりません 。
- 書き癖(かきくせ):これこそが手続き記憶から生まれる核となる部分です。特定の画線の長さの傾向、角度、接続の仕方など、本人が意識しないまま繰り返される筆記動作の習慣が筆跡に現れたものです 。この「運動癖」は強い恒常性(安定性)を持っています 。
- 筆跡個性(ひっせきこせい):これは「固有の運動軌道」と「書き癖」を総称する包括的な概念です 。つまり、筆跡個性という大きな枠の中に、書き癖が含まれると理解できます 。筆跡鑑定では、この安定した無意識のパターン、つまり「筆跡個性」に焦点を当てます 。
偽造筆跡を見抜く鍵:恒常性の崩れ
この手続き記憶の理解は、偽造筆跡を見破る上で非常に重要です。偽造者は、手本となる筆跡の形を意識的に真似ようとします 。しかし、この「意識的な介入」が、本来無意識であるはずの「書き癖の恒常性」を不自然に崩す原因となります 。
脳科学的筆跡鑑定法は、この「恒常性の崩れ」を鋭敏に検知することで、偽造の可能性を判断します 。例えば、真筆では安定して現れているはずの書き癖が、鑑定対象の筆跡には見られない場合、それは偽造である可能性が高いと判断されます 。
偽造者がどれだけ巧妙に形を真似ても、無意識の運動パターンまで完璧に再現することは極めて困難です 。この科学的根拠に基づいた鑑定法は、単なる筆跡の類似点ではなく、偽造者が意図せず残してしまう「無意識の不自然さ」を捉えることで、高い精度での真贋判断を可能にしているのです 。


