【新シリーズ:徹底解剖】「筆跡鑑定はどれも同じ」は大間違い! ドンファン事件判決文が暴いた「採用される鑑定」と「排斥される鑑定」の決定的な差

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【はじめに】伝説の事件が、筆跡鑑定の「未来」を決めた

あのお茶の間を騒がせた「紀州のドンファン事件」。 遺産を巡る骨肉の争い、そして遺言書の真偽……。多くの人がこのニュースに釘付けになりましたが、実はこの裁判の裏側で、日本の科学捜査と筆跡鑑定の歴史を塗り替えるような「静かなる革命」が起きていたことをご存知でしょうか?

本日より全4回にわたり、【徹底解剖:紀州のドンファン事件判決】と題した新シリーズをお届けします。

このシリーズの目的は、単なる事件の振り返りではありません。 公開された判決文を「科学的な視点」で読み解くことで、なぜ従来の「経験と勘」に頼る鑑定人が司法の場で否定され、どのような「科学的ロジック」が勝者となったのかを、白日の下に晒すことです。

第1回目の今回は、「司法が『従来の鑑定法』に突きつけたNO(ノー)」の衝撃についてお話しします。


「鑑定書」同士の激突、その結末は…

この裁判の最大の争点は、遺言書が「本人の直筆か、偽造か」という点でした。 当然、原告(無効を訴える側)と被告(有効を主張する側)、双方から「筆跡鑑定書」が提出されました。

通常、一般の方々はこう思うかもしれません。 「鑑定人が出せば、どっちもそれなりに正しいんじゃないの?」 「最後は裁判官が『まあ、どっちもどっちだけど…』とあやふやに決めるんでしょ?」

しかし、和歌山地裁が下した判決は、そんな生ぬるいものではありませんでした。 裁判所は、双方の鑑定書を並べ、明確に「こちらの鑑定は採用するが、あちらの鑑定は信用できない(排斥する)」と断罪したのです。

司法が「従来の鑑定法」を切り捨てた瞬間

判決文(令和6年6月21日 和歌山地裁 判決)には、原告側が提出した複数の鑑定書(※従来の鑑定法に基づくもの)について、非常に厳しい評価が記されています。

これまでの業界では「定説」としてまかり通っていた手法に対し、裁判所は以下のように指摘し、証拠としての価値を否定しました。

「筆跡対照資料が〇〇通にとどまる上、……合理的理由なく筆跡対照資料から除外している点で採用し難い。」 「筆跡対照資料の選別や認識にいささか疑義があるほか、……検証を回避する点などにおいて、採用し難い。」 (※判決文より要約・抜粋)

これは、専門家として非常に衝撃的な記述です。 要するに裁判所は、「鑑定人の都合のいい資料だけを選んで比べていないか?」「科学的な検証から逃げていないか?」と見抜き、「そんな主観的な鑑定(経験と勘)は、証拠として認めない」と突き返したのです。

「経験」だけでは、もう勝てない

この判決が意味することは一つです。 これまで筆跡鑑定業界でのさばっていた「私はこの道〇〇年のベテランです」「私の勘ではこう見えます」というスタイルは、もはや現代の司法の場では通用しない(論理的生存権を失った)ということです。

どれだけ立派な肩書きを持っていても、どれだけ長く営業していても、そこに「客観的なロジック」がなければ、その鑑定書は紙切れ同然になってしまうリスクがあるのです。

では、逆に裁判所が「採用」し、判決の決め手とした鑑定書には、一体どのような「ロジック」が書かれていたのでしょうか? なぜ、従来の鑑定人が見落とした真実を、その鑑定書だけが証明できたのでしょうか?

次回予告:勝敗を分けた「科学的ロジック」の正体

次回、第2回では、いよいよこの判決の核心に迫ります。 裁判所が認めた「筆跡のブレ(個人内変動)」と、「偽造の物理的限界」とは何か?

【第2回】裁判所が認めた「科学的根拠」とは? 判決文に見る「個人内変動」と「偽造の物理的限界」の証明

従来の鑑定法が絶対に触れようとしない「不都合な真実」と、当研究所が提唱するBSHAM(脳科学的筆跡鑑定法)とも合致する「勝訴のロジック」を、判決文から紐解きます。

筆跡鑑定の依頼を考えている方、弁護士の先生方は必読の内容です。次回更新をお待ちください。


(シリーズ構成)

  • 【第1回】今回はこちら:「筆跡鑑定はどれも同じ」は大間違い! ドンファン事件判決文が暴いた決定的な差
  • 【第2回】 裁判所が認めた「真の科学的根拠」とは? 「恒常性の抽出」と「偽造の限界」
  • 【第3回】 Google検索上位の「老舗鑑定所」を信じるな。「弁護士の紹介だから安心」が一番危ない理由
  • 【第4回】 依頼する前に聞いてください。デタラメな鑑定を避けるための「たった3つの質問」

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