「筆跡鑑定」は、単に文字の形を見るだけでなく、近年、脳の運動制御システムという科学的知見を取り入れることで大きく進化しています。
この記事では、人間の脳の仕組みから見て、脳科学的筆跡鑑定法の核となる「恒常性」の概念を明確にしつつ、従来の鑑定法と、偽装が極めて難しいとされる新しい脳科学的な視点が、それぞれ脳のどの部分の「癖」を見ているのかを、具体例を交えてわかりやすく解説します。
🔬 脳科学的鑑定の核:動力学的な恒常性
脳科学的筆跡鑑定法が依拠するのは、「運動制御システムが作り出す、本質的に変わらない個人の動作パターン」です。これを鑑定では「恒常性」として捉え、鑑定の核とします。
1. 恒常性(不変の動作パターン)
恒常性とは、筆者がいつ、どんな状況で書いても、その筆跡に一貫して現れる、その人固有の「書き方の癖」のことです。
これは、長年の学習によって小脳と大脳基底核に深くプログラムされた、無意識の動力学的ルーティンの結果です。脳科学的鑑定では、特に筆圧の法則性や運筆のリズムといった動作の個性を「恒常性のある筆跡個性」として重視します。
🖋️ 脳の3つの司令塔と恒常性の関係
1. 大脳皮質:意識的な「スタイル」の制御
- 役割:文字の形状、デザインなど、意識的に変えられる部分。
- 恒常性との関係:意識的な偽装は、この大脳皮質の制御によって行われますが、その試みは、無意識の恒常的な動作(小脳・基底核)に矛盾を生じさせます。
2. 小脳・大脳基底核:無意識の「動作の核」の形成
- 役割:筆圧の法則性や運筆のリズムといった、無意識の動力学的パターン。
- 恒常性との関係:この無意識の動作こそが、恒常性のある筆跡個性(コアな癖)の源泉です。
⚖️ 鑑定法の比較:恒常性の調査方法
1. 従来の筆跡鑑定:大脳皮質の「スタイル」を見る
従来の鑑定は、文字の視覚的な形状を重視し、恒常的な形状の個性が鑑定資料にあるかを調査します。
- 調査方法:対照資料から、頻繁に出現する特徴的な文字の形状や比率といった恒常的な個性を抽出し、鑑定資料の形状のみと比較します。
- 判断の限界:多数のサンプルが前提となる個人内変動の正確な測定が実務上困難なため、形状が似ている場合の偽装を見抜くことが難しく、鑑定の信頼性を揺るがす要因となっています。
2. 脳科学的筆跡鑑定法:恒常的な動力学と動作の崩れを見る
脳科学的な鑑定は、小脳や大脳基底核が司る恒常的な動作パターンを、科学的に詳細に分析します。これは、少数のサンプルであっても質的な証拠を見つけ出すことに重点を置いています。
① 恒常性のある筆跡個性の調査(コアの特定)
- 調査方法:対照資料の紙の痕跡から、恒常的な筆圧の法則性や運筆のリズムを抽出します。これは、高倍率の顕微鏡や特殊な光を用いた精密な視覚分析によって行われます。
- 着目点:文字のどこで力を入れ、どこで抜くかという「力の配分の恒常的な法則性」、そして運筆の速度変化や滑らかさの恒常的なリズムです。
② 動作の崩れ(偽装による恒常性の消失)の調査
鑑定の決定的な証拠となるのが、恒常的な動作パターンの崩れです。
- 偽筆の場合:偽装者が他人の形状を真似ようと意識的に試みると、大脳皮質が過剰に制御し、小脳や大脳基底核の自動化された恒常的な動作プログラムが乱れます。 → 結果として、恒常的な筆圧の法則性が消失したり、不自然な線の震えや途切れ(動力学的な崩れ)として紙の痕跡に現れます。
- 真筆の場合:体調不良などで筆跡に変動があっても、動力学的な恒常性(力の入れ方の法則性など)の核は維持される傾向にあります。
🔑 まとめ:鑑定は「恒常性の探求」へ
筆跡鑑定は、熟練した鑑定人の「詳細な分析」という基盤の上に、恒常性の源泉である脳の運動制御システムへと視点を深めています。
| 鑑定法 | 焦点 | 恒常性の調査対象 | 偽筆の判定基準 |
| 従来の鑑定 | 意識的なスタイル(大脳皮質) | 恒常的な文字の形状・構成 | 恒常的な形状との不一致。(多数サンプルが必要な個人内変動の正確な把握は困難) |
| 脳科学的鑑定 | 無意識の動作(小脳・基底核) | 恒常的な筆圧の法則性・運筆リズム | 恒常的な動力学の崩れ、不自然な動作の痕跡。 |
恒常性という核に焦点を当てることで、鑑定は誰にも真似できない無意識の動作の指紋を特定する、より科学的で強力な手法へと進化しているのです。


