私は今、心底、頭に来ています。
私が長年取り組んできた伝統的筆跡鑑定や数値解析法の本質的な問題点を論理的に指摘すると、決まって返ってくる薄っぺらい非難があります。それは、「自社のBSHAMの優位性を高めるための誹謗中傷ではないか」というものです。
ふざけるのもいい加減にせよ。
我々の批判は、感情論でも、他社を貶めるための行為でもありません。それは、多くの依頼人を不利益から守るため、そして司法の公正を守るための、正当な「論理的検証」に他ならないからです。
I. 鑑定業界の暗黙の了解に切り込むということ
論理的に破綻している、あるいは客観的な根拠に乏しい鑑定法を「使いものにならない」と断じることに、何の躊躇があるでしょうか。
鑑定とは、人の人生を左右する行為です。にもかかわらず、科学的再現性や客観的指標に乏しい手法がまかり通り、その問題点を指摘した人間が「誹謗中傷」と罵られる。この状況こそ、鑑定業界の腐敗を示す何よりの証拠です。
鑑定依頼を検討している全ての人々に、「鑑定ができない手法を辞めるよう働きかけること」は、鑑定人としての社会的責務です。これを理解せず、批判を単なる「中傷」として矮小化する行為こそ、自社の手法への絶対的な自信の欠如を露呈しているに過ぎません。
II. 私たちが知る「不利益を被った人々」の実態
私の怒りは、理論的な問題点だけから来ているのではありません。
私は実鑑定を通して、これらの論理的に使いものにならない鑑定法によって、少なくない不利益をこうむり、敗訴した方々を数多く知っています。
彼らは、真実を知りたい、公正な判断を得たいという願いを抱え、多額の費用を投じました。しかし、得られたのは、相手方の根拠の薄い鑑定書が提出され,敗訴という、二重の苦痛です。
鑑定が「できない」人物が書いた鑑定書が提出された結果、人生を狂わされた人々の存在を知ってなお、沈黙することなど、私にはできません。
III. 揺るがしがたい事実:80%以上の反論書が意味するもの
私たちの批判の正当性を証明する、絶対的なデータがあります。
私たちがBSHAM(筆跡科学分析法)で鑑定結果を提出した場合、その結果に対する反論書がおよそ80%以上,いやもっと多いかもしれません。「ほとんどすべて」といっていいほどの確率で提出されてくるのです。これでは,筆跡鑑定の評価が下がるのは当然です。
当然、反論書が導き出す結論は、BSHAMの鑑定結果と真逆です。
これは何を意味するでしょうか?
それは、鑑定業界の主流となっている手法が、同じ筆跡資料を見ても、ほとんどすべての確率で、我々とは全く異なる(あるいは真逆の)結論を導き出しているということです。この異常なまでの意見の不一致は、もはや「流派の違い」などではなく、鑑定法自体の信頼性が根本的に欠如していることを示しています。
IV. 「似ている」という危険な罠
私は、多くの鑑定資料を見てきた結果、一つの結論に達しています。それは、「似ている筆跡はそのすべてと一定程度同一人の筆跡になる」ということです。
表面的な特徴、あるいは特定の数値のみを抽出した分析は、この危険な真実を無視しています。真の鑑定とは、その「似ている」という現象の裏側にある筆跡形成のメカニズムを解明することにあります。
この本質的な理解がない限り、鑑定は偶然の類似性という罠から永遠に逃れられず、ほとんどすべてという驚異的な反論率を生み出し続けるでしょう。
Ⅴ. 検索順位よりも重い「正義」
ご存知の通り、このような批判的な記事は、検索エンジンの順位をさらに押し下げる可能性があります。実際に、私の発信はすでに1ページ目から2ページ目の下まで順位が落ちました。鑑定ができない鑑定手法を採っている鑑定所よりも遥か下方の順位にいます。本当に「ふざけている」としか言いようがありません。
しかし、私は発信を止めません。
正義とは、検索順位やビジネス上の利益よりも、はるかに重いものです。
鑑定業界に巣食う論理の破綻を暴き、多くの鑑定依頼人を不利益から守ることこそ、今、私に課された使命です。この「正義」を多くの方に知っていただくため、私はこれからも継続して発信し続けます。
「論理的に使いものにならない鑑定法」に鉄槌を下すことこそ、真の鑑定人としての務めだと信じています。「間違いだ!嘘だ!」という骨のある鑑定人がいるのであれば,公開検証の場で決着を付けようではありませんか。私は,絶対に逃げも隠れもしません。正義が勝つことを信じてやまないからです。


