事実は一つのはずなのに…なぜ?
裁判で筆跡鑑定が行われるシーンを想像してみてください。 原告と被告、双方がそれぞれの「専門家」に依頼し、鑑定書を提出します。
普通に考えれば、「事実は一つ」なのだから、まともな専門家が鑑定すれば同じ結論になるはずです。
しかし、現実はどうでしょうか?
私たちトラスト筆跡鑑定研究所が、過去に関与した案件や公開された裁判記録などを独自に集計・分析した結果、衝撃的な事実が浮かび上がりました。
筆跡鑑定が争点となり、双方が鑑定書を提出したケースにおいて、「原告側の鑑定人は『偽造だ』と言い、被告側の鑑定人は『本物だ』と言う」という真っ向から対立する事態が、なんと8割以上の確率で発生していたのです。
これは異常事態です。なぜ、これほどまでに「専門家」の意見が食い違うのでしょうか?
「専門家の見解の相違」という便利な言葉で片付けてはいけません。ここには、業界が抱える致命的な構造欠陥が隠されています。
今回は、なぜ筆跡鑑定はいつも「水掛け論」に終わるのか、当研究所のデータが裏付けるその異常な理由を暴露します。
理由1:「経験と勘」という名のブラックボックス
最大の理由は、多くの鑑定人がいまだに頼っている「従来の鑑定手法」そのものにあります。
彼らの手法は、基本的に「主観」です。 文字の形を見て、「私の長年の経験から見て、ここが似ている」「いや、私の勘ではここが不自然だ」と判断します。
- 鑑定人A「このハネ方は、本人の特徴とは違う。だから偽造だ!」
- 鑑定人B「いや、人間だからこれくらいのブレはある。許容範囲内だから本物だ!」
どちらも明確な科学的基準(数値や物理的証拠)を持たず、「自分の物差し(経験則)」で測っているだけ。これでは意見が合うはずがありません。 基準が曖昧な「芸術品の品評会」のようなことを法廷でやっているのですから、当研究所のデータが示す通り、結論が割れるのは当然なのです。
理由2:「性善説」という平和ボケした前提
しかし、もっと深刻な、根本的な原因があります。 それは、従来の鑑定法が「巧妙な偽造者は存在しない」という、平和ボケした前提(性善説)に立っているという点です。
彼らは「文字の形が似ているかどうか(形態比較)」を一生懸命に見ます。 ですが、よく考えてみてください。
偽造者は、「似せて」書くのです。 それが偽造の目的だからです。
それなのに、鑑定人が「似ているかどうか」を調査の基準にするなど、論理的に破綻しています。それは、まんまと偽造者の土俵で相撲を取っているのと同じです。
巧妙な偽造であればあるほど、「形」は似ています。従来の手法しか持たない鑑定人は、その「作られた類似」を見て、「よく似ているから本物だ」と誤認してしまいます。
衝撃の結末:どちらかの鑑定人が「偽造の片棒」を担いでいる
「8割以上で結論が割れる」という当研究所のデータは、残酷な真実を意味します。
もし、争われている文書が「偽造」だった場合。 「これは本物だ」と鑑定書を書いた側の専門家は、「偽造者の技術に見事に騙された」ということです。
さらに言えば、その専門家の権威ある鑑定書が、結果として「偽造という犯罪行為を完成させる手助け(片棒)」をしてしまっているのです。
これが、データが示す異常な業界の裏側です。
【結論】この異常事態を終わらせる唯一の方法
では、どうすれば「水掛け論」にならない、真実の鑑定ができるのでしょうか?
答えはシンプルです。主観を排除し、「科学的ロジック」だけで判断することです。
偽造者が絶対にコントロールできない領域、つまり「無意識の運動痕跡」と「物理法則に基づく矛盾」だけを、科学的に検証することです。
- 「形は似ているが、書くスピードが物理的にあり得ない」
- 「脳からの無意識の指令(書き癖)が一致しない」
こうした、当研究所が提供するBSHAM(脳科学的筆跡鑑定法)のような科学的アプローチであれば、誰が鑑定しても結論は一つに収束します。科学に「見解の相違」は存在しないからです。
裁判所も、もう気づき始めています。「経験と勘」の水掛け論は証拠にならないと。 あなたが依頼すべきは、どちらの鑑定人でしょうか?



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